色んなところで裾野の広がりを感じます

更新が滞っており申し訳ありません。年度末のバタバタの上に、花粉症や風邪、デスクワークの姿勢の悪さがたたっての首から肩にかけての筋肉痛(要するに五十肩)など体調不良もあって、情報発信にまで手が回りませんでした。近況報告も含めて、久しぶりの更新。統一テーマは、「裾野の広がり」。

娘の大学受験が終わり、なんとか、ここがいいな、と親子が思っていた大学に進学が決まって、親子ともにほっと一息。娘は、大学入学前の完全自由な時間を満喫しています。大学に入ったら勉強したいと思っている美術史に関わる展覧会巡り、調布フィルやガレリアフィルへの復帰、友達の家の泊まり歩きなどなど。行きつけの青山の美容院ラルテさんに行って、髪を切って、かなり明るい茶色い髪色に。卒業式が終わった途端に、髪の色を変えるのと、耳にピアスの穴を開けるのが娘の同級生のトレンドらしくて、「インスタに、絆創膏貼った耳たぶと脱色した後ろ頭の写真が大量に投稿されている」のだそうな。

そんな娘の高校は、色んな指向を持った子供たちが集まっていて、進学先の大学を見ても多種多様。それを見ていて面白いなぁ、と思ったのは、美術系や芸術系、あるいはデジタルアート系の大学に進む子供が多いこと。そういう進路を選ぶ人たちって、昔は結構、「それで第一線で活躍できる人なんか一握りだ」とか、「食っていけるわけがない」とか言われたと思うんだけど、最近はちょっと印象が違う気がする。いわゆるデジタルコンテンツビジネスがこれだけ拡大してくると、確かにマスコミで取り上げられるようなトップレベルのクリエイターになるのは一握りとしても、その業界の裾野が広がっていて、沢山の人たちに職場を提供している気がするんだけど、どうなんでしょうね。そういう場所ほどブラック企業が多い、という話もあるかもしれないけど、これだけ人手不足が叫ばれてくると、業界の労働環境もかなり変わっているんじゃないか、と思う。親族全員の反対を押し切って孤独な芸術の道を選ぶ、なんていう悲壮感はだいぶ薄れていて、美術系の大学を出てデジタルアートの職場でCG作ってます、なんて人が結構沢山いるんじゃないかな。

一方で、私は、といえば、ガレリア座の練習、合唱団麗鳴の練習、自分の企画するサロンコンサートの練習、とマルチタスク状態で、時々頭がぐちゃぐちゃになる状況。そういうキャパオーバーの現状も、この日記の更新が滞った一因だったりする。しかも今年は、ガレリア座が、5月に、ヨハンシュトラウス管弦楽団の主催公演「こうもり」に合唱を含めた歌い手を提供する、ということで、9月のカール・ツェラーの「小鳥売り」も入れると、4つの演目を同時並行で練習している状態。

でも私よりもすごいアマチュア歌手はいて、今回サロンコンサートでご一緒するOさんやYさんとかは、私の倍くらいの本番舞台を抱えていて、練習予定を調整するのも大変。それだけ東京都内で、オペラ公演やガラ・コンサートが沢山開催されているんだね。25年前にガレリア座を始めた頃は、都内でオペラ公演を見ようと思ったら、二期会や藤原か、あるいは来日公演か、それこそ、東京シティオペラや室内歌劇場のような団体公演に限られていたんじゃないかと思います。でも最近は、色んなところでオペラ全幕上演を見ることができる。なんでかなぁ、と思うと、サロンコンサートでご一緒しているKさんが、「自主公演が増えているんだと思うんですよね」と言う。歌い手さんが、自分が歌いたいオペラを上演したい、と、仲間を集って自主公演を打つケースが増えているんだって。「そういう自主公演のやり方が、皆さん分かってきたんだと思うんです」とのこと。

確かに、少し前に、師匠の立花敏弘さんがパパ・ジェルモンを歌っていた「椿姫」も、どうしてもヴィオレッタを歌いたい、というソプラノ歌手の方が自主公演として開催されたものでした。日本にはソプラノ歌手が掃いて捨てるほどいるんだけど、オペラでソプラノ歌手がもらえる役というのは、一つの演目で1人か2人しかないのが普通。男性の役は沢山あるので、逆に男性キャストをそろえるのにどの公演も苦労しているらしいんだけど、ソプラノ歌手が、一生の中で全幕オペラのプリマを歌う機会は本当に少ない。余談だけど、そういう事情もあるので、「椿姫」は、1幕と2幕と3幕でヴィオレッタ役の歌い手さんが交代する、なんてのもよくあること。

自分でサロン・コンサートとか主催していると、自主公演の大変さってすごくよく分かるんだけど、でも逆に、「一生に一度の機会だから」と腹をくくって、イベント的に開催するのであれば、意外となんとかできてしまう、というのもよく分かる。色んな音楽団体で活動していて、共演者を集められる人脈があって、かなりの金額になりそうな赤字を覚悟できるだけの貯金があれば、なんとかなる。公演の規模を小ホールやサロン規模に抑えて、きちんとチケットを売る販路があれば、定期的に公演を打つことだってできます。また、そういう自主公演って、規模の大小にかかわらず、達成感が大きいから、一度やったらまたやってみたくなるんだよね。

東京都内に限った現象なんだろうな、とは思うんだけど、歌い手の裾野が広がり、公演機会の裾野も広がっている気がします。でも、「ヨルタモリ」で昔タモリさんが「裾野を広げることばっかり考えてたらダメで、頂点を目指すものはもっと高みに行かないと。山と一緒で、頂点が高くなれば裾野も広がるから」という趣旨のことをおっしゃっていた。二期会や藤原といった老舗団体や、新国立劇場のオペラ公演といった場所が「頂点」を高めてきた結果として、今のオペラ公演の充実があるのかもしれない。もちろん、聴衆の裾野が広がっているか、というのは、別の大きな問題なんだろうな、と思うけど。