ゆく年、くる年〜積み重ねていくしかないよね〜

新年がやってまいりました。喪中ということもあって、年賀の言葉は申し上げられないのですが、2017年になっても相変わらず、よしなしごとをだらりだらりと綴ってまいりたいと思います。今年も何卒お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

毎年のこの日記の恒例、ということで、年末年始には、過ぎた年の振り返りをやっているんですが、昨年、2016年の年頭のこの日記では、「そろそろ年齢的に色んな限界が見えてきたので、今しかできないことに挑戦してみたい」なんてことを書いてました。2016年はまさにその言葉通り、ずっと思いきれずにいた幾つかのことに挑戦してみて、それなりの成果を出すことができた年だった気がしています。妙な言い方だけど、試験とかコンクールとか、点数や順位がつくものに随分たくさん挑戦した年だったなぁ。放送大学の単位取得試験とか、簿記3級と2級の試験とか、東京都の合唱コンクールとか、ウィーンオペレッタコンクールとか。

ありがたいことに、それぞれにそれなりの成果を得ることができて、結果には十二分に満足しているのだけど、それで分かったことは、やっぱり試験ってその時点での瞬間風速を測定するモノサシに過ぎないなぁ、ということ。もちろん、プロフィールや履歴書に資格として記載できる、という意味では、学歴と同じような価値を持つものではあるのだけど、その結果自体は何も意味を持たない。その資格を持っている自分が、次にどんな舞台でどこまでのパフォーマンスを出せるか、そこに集ったお客様をどれだけ楽しませることができるか、ということが本当の勝負。有名大学出ても使えない会社員がいっぱいいるのと同じで、立派な入選・入賞履歴を持っていても貧しいパフォーマンスしか出せない表現者もいっぱいいるし、入賞実績などはなくても素晴らしいパフォーマンスを見せる人もいっぱいいる。

じゃあ、試験もコンクールも、将来のパフォーマンスの質向上には役に立たないのかよ、と言われると、きっとそういうことじゃない。試験にせよコンクールにせよ、本番の一瞬に向けて積み上げていくプロセスは、質の高いパフォーマンスを作り上げていくプロセスと変わりない。嬉しい結果が教えてくれることは、「自分の積み上げてきたプロセスは間違っていない」という自信。こういう風に作り上げていけば、それなりに評価してもらえる、という自信。

一方で、過去成功したプロセスや体験に縛られてしまってもいけないんだよね。自分の身体の老化、一つ一つの舞台の条件、お客様の状態、色んな一期一会の環境を予想しながら、微妙にプロセスを見直していかないといけない。2016年に得た成功体験を踏み台にして、2017年にどれだけ自分のパフォーマンスの質を向上させていけるか。

過去の成功は過去のこととして一から出直し、という言葉もよく聞くけど、それは必ずしも常に正しいわけじゃないと思う。自分の状態をベストに持っていくための基本的なルーティンには、何かしら変えちゃいけない本質的なものがある気がしてます。単純に、毎日必ず楽譜に触れること、とか、ネットとか図書館とか色んなツールで楽曲への理解を深めること、とか、他の人の練習を漫然と聞くのじゃなくて、そこで出ているダメ出しを自分なりに解釈してみる、とか。そういう「基本姿勢」みたいなものって、どんなに環境が変わっても維持しなきゃいけないものだし、必ず結果につながっていく日々のルーティン作業だと思う。

イチローの毎日のルーティンが、十数年経ってもまったく変わらない、という話がありますが、そんなことないと思うんです。加齢とか、環境に合わせて、彼なりに日々必ずカイゼンを重ねているはず。それでも、変わらないように見えるのは、何かしら本質的に「変えちゃいけない」ことを彼がつかんでいて、黙々とそれを続けているからじゃないかな。続ける、という基本姿勢を変えない、という要素もあるかもしれないね。

2016年は、家族にとっても、たくさんの挑戦と、充実した成果を得られた一年でした。娘のオーケストラ活動は3つの団体にまたがり、ずっと憧れていたチャイコフスキーの「悲愴」を初め、「キャンディード序曲」「韃靼人の踊り」「展覧会の絵」などの大曲や、オペレッタの全幕上演に挑戦。女房は、オペラ2本、オペレッタ1本、コンサート6本と、かつてない本番回数をこなしました。こうやって積み上げてきたものを、どうやって2017年に活かせるか。過去の自分を踏み台にして、どれだけ今の自分を輝かせるか。今、目の前にいるお客様にどれだけ楽しんでいただけるか。2017年、もっともっと沢山のお客様を笑顔にするために、試行錯誤を続けていきたいと思います。また一年、いずれも様方におかれましては、御ひいきのほど、お願い申し上げ奉ります。皆々様にも、2017年がよい一年でありますように。