「世界史」byウィリアム・H・マクニール〜やっぱり世界って広いようで狭い〜

書店でずいぶん平積みになっていて、思わず買ってしまったマクニールの「世界史」を、最近読み進めています。すごく分かりやすくて面白いのは、世界史の流れを、ある社会で起こった一つのパラダイムシフトが、水面に広がる波紋のように世界に広がっていき、それぞれの社会の特殊性の中で取捨選択・変質して受容されていく、という、歴史の流れの大局観的なとらえ方。例えば、馬に戦車を引かせて安全な車上から矢を浴びせかける、という戦法が大陸の一部で生まれると、それが伝播していくことによって数々の社会が滅び、栄え、変質していく。細かいピースとしてしか頭に入っていなかった世界史のさまざまな出来事が、一つの大きな物語の中に再編成されていくような、知的な興奮をもたらしてくれます。

ただ、ある程度「丸暗記」的に世界史上の事実を詰め込んだ後で読んだ方が興奮度は高いかもしれないなぁ、と思いながら読んでいます。語学なんかもそうだけど、小学校や中学校あたりの、丸暗記が利く時代に、しんどいかもしれないけどひたすら詰め込んだ知識、というのは、後で絶対役に立つと思う。「丸暗記の詰め込み教育は役に立たない」なんて言い出した奴らは本当の学問を知らない連中なんだよねー。

昔、仕事で中南米を担当していたころ、半年に一回は中南米に出張していて、そこで出会ったインディオ系の人たちが、我々モンゴリアンにそっくりなのに驚いたことがありました。その後、アイヌの人たちのRNA遺伝子が、南米のインディオのRNA遺伝子と共通している、というTV番組を見たことがあって、かつては、南太平洋の島々を小舟で渡り歩いた勇壮な海洋民族が、環太平洋モンゴル文化圏のようなものを打ち立てていたんじゃないかなぁ、と思ったことがあった。

昔の世界って、今の我々の世界よりずっと広かったかもしれないけど、でも我々が想像しているよりもずっと狭かったんじゃないかな、と思う。一人の人間の一生に限定してしまえば、世界は広すぎた、というのは事実かもしれないけど、一つの民族、といった数世代にわたる活動のレンジで見ると、昔から、世界は結構狭かったんじゃないのかな。遠く離れた社会が、同じ文化や習慣、技術を共有するのにかかる時間は、今よりずっと長かったかもしれないけど、それらは確実に波紋を広げながら世界を同じトレンドに染めていった。マルクスみたいな、どんな社会も一方向に進化していく、という「並行進化」みたいな考え方よりも、一つの知恵の石が世界の海に波紋を広げていく、というマクニールの歴史観の方が私にはしっくりきます。

ギリシア神話が大陸の騎馬民族を経て日本神話に流れ込み、法隆寺にヘレニズム文化が影響し、中尊寺コロンブスアメリカ大陸発見のきっかけを作り、浮世絵が印象派を生み出す。世界は無数の文化の発信源が共鳴しあう巨大なコロシアムのような場所。そこに立ってさまざまな文明の音色の名残に耳を傾ける。通勤途中の満員電車の中が、そんな豊かな精神浮遊の時間になる。なんとも贅沢な一冊です。