24日(日)、女房が出演した、モニューシュコのポーランド歌劇「幽霊屋敷」を見てきました。理性を超えて、血に直接訴えてくる音楽の力に感激。
ミェチニク【ハンナとヤドヴィガの父親】:杉野正隆
ハンナ【ミェチニクの娘】:津山恵
ヤドヴィガ【ミェチニクの娘】:石井真紀
ダマズィ【ミェチニクの家来、お洒落な弁護士】:西岡慎介
ステファン【軽騎兵、ズビグニェフの兄弟】:園山正孝
ズビグニェフ【軽騎兵、ステファンの兄弟】:三塚至
チェシニコーヴァ【ステファン、ズビグニェフの伯母・伯爵夫人(未亡人)】:栗林朋子
マチェイ【チェシニコーヴァの老召使い】:小畑秀樹
スコウーバ【ミェチニクの召使い】:中川郁太郎
マルタ【ステファン・ズビグニェフのハウスキーパー】:大津佐知子
グジェシ【農夫】:櫻井淳
スタルシュカ【老女】:田中美佐子
音楽監督・指揮:今村能
管弦楽:フィルハルモニア多摩
合唱:多摩フィルハルモニア合唱団
という布陣でした。
今村先生を囲んでの歌い手集合写真。本当に素晴らしいパフォーマンスでした!
少し前に、英語の勉強で見ていた、TEDというプレゼン番組で、アメリカの音楽文化を彩った様々なダンス音楽が、アフリカの民族音楽にルーツを持つのだ、というプレゼンを見たことがあります。例えばツィストは、コンゴから連行された奴隷が、自分たちの故郷で踊っていたダンスをアメリカに持ち込んだものなのだそうです。アフリカ系アメリカ人の間では、踊るダンスによってその人のルーツが分かるのだとか。言ってみれば、盆踊りや阿波踊りのステップによって、その人の出身地が分かるようなものでしょうか。奴隷制度の抑圧の中で、太鼓などの楽器を禁じられ、太ももをたたいたり手を叩いたりすることで代用しながら、自分たちのルーツを子孫に伝えようとした思い。そしてその強い思いが、世界の音楽のトレンドを大きく変えることとなった。
「幽霊屋敷」というオペラは、ポーランド、という国が、欧州の大国によって引き裂かれ、民族としてのルーツと、国家としての存在を根こそぎ奪われた時代に書かれたオペラだそうです。自分たちの依って立っていた精神的な基盤を根こそぎ奪われてしまった人々に、音楽ができることってなんだろう。大国ロシアという為政者の度重なる検閲という抑圧と制約の中で、「幽霊屋敷」の作り手たちが辿り着いた答えが、「音楽で抵抗してやろう」という挑戦と「音楽にはそれだけの力がある」という信念だったのかもしれない。全編で語られるポーランド土着の数々の風習、民族の精神、そして何より、ポロネーズやマズルカといった民族音楽。そしてその音楽の力は、当時の聴衆の熱狂を生み、あまりの熱狂ぶりを恐れた当局によって、上演はたった3回で打ち切られた。にも関わらず、この作品は今でもポーランドで愛され、ポーランドで最も人気のあるオペラの一つ、と言われているのだそうです。
そして、音楽は驚くほど軽やかに、時代や空間を飛び越えていくんですね。ポーランド民族のルーツを、直接の物語として、ではなく、表面的には喜劇として作られた物語の中にこっそりと潜ませた隠喩として語る、この複雑な構成を持ったオペラの中で、音楽がいきなり、そういう構成の迷路の殻から飛び出して、グローバルな普遍性に向かって飛翔する瞬間が生まれる。第3幕で、早世した両親への想い出を歌うテノールのアリアは、他国に蹂躙されて失われた母国への哀悼歌であると同時に、現代世界の様々な場所で、迫害され、故郷を奪われた人々の慟哭とシンクロする。そして、終幕の全員合唱で歌われる華やかな舞曲マズルカは、その単純で力強いリズムで、現代日本の我々の血もたぎらせる普遍的な力を持っている。
そういう反骨精神や、芸術に対する信頼と信念、そして、そこから生まれた音楽の普遍性、という物語って、オッフェンバックが世紀末のパリで、ある意味命がけの笑いと洗練された音楽で権力を洒落のめしたのと同じ文脈なのかも、と思います。そしてひょっとしたら、あの東日本震災の時に、全ての日本の舞台人が感じた、「こんな時に音楽をやっていいんだろうか」という迷いに対する一つの答えなのかもしれない、とも思う。足元の堅固な大地が大きく揺れ、穏やかな海が牙をむいて全てを奪い去っていったあの時に、何もかもなくした人々の心を動かした音楽の力。音楽には、それだけの力があるのだ、と、確かに僕らはあの時気づいたし、音楽を続けることの意味について、一つの答えを見出した時期だったような気がする。
オペラ作品として見た時に、1幕と2幕に散りばめられた極めて民族的な仕掛け(シュラフタ、という、日本の地侍や英国の郷紳のような存在への賛歌や、パンに塩を盛って客人をもてなしたり、溶かした蝋が水の中で固まる形で未来を占ったり、といった風習)は、多分ポーランドの人たちの民族の記憶に直接語り掛けてきただろうけど、現代の、しかも日本の我々には少し縁遠くて、ちょっと長すぎる感覚がありました。でも、物語が動き始め、アリアや重唱、合唱や舞曲、と、音楽のヴァラエティがどんどん増してくる3幕や4幕になると、その音楽の普遍性が勝ってくる。そして、終幕のマズルカでは、19世紀のポーランドの劇場の熱狂の渦に向かってタイムリープしていく感覚に思わず鳥肌が立ちました。本当に、客席が一体になってマズルカを一緒に大合唱している姿が見えた気がした。音楽は時間を超える、というけど、こんなタイムトリップ的な感覚になったのは初めて。
在日ポーランド人の方々が多数いらっしゃったようで、終演後は皆さんスタンディングオベーション。母国を遠く離れた極東の国で、母国語のオペラを聞けるなんて、本当に嬉しかったんでしょうね。休憩中のロビーでは、いつものオペラ舞台よりずっと、金髪の方の数が多かったです。それにしても、東欧の方々って本当に美男美女が多いねぇ。小さなお子さんも結構いらっしゃって、本当にお人形さんみたいでした。
ポーランド語、という、世界でも最も難しい言語の一つに挑戦した歌い手の皆さん、数々の長大なソロを含めた難曲に挑んだオーケストラの皆さん、そして何より、このプロジェクトを牽引した今村能先生に、感謝です。素晴らしいオペラを紹介してくださって、本当にありがとうございました。本当に女房がお世話になりました。モニューシュコ、という作曲家の作品、もっと勉強してみたいと思います。You Tubeで見たら、ベチャワが結構歌ってるんですよね。そういえばベチャワって、クラクフの出身だったんだなぁ。