インフラに対する感謝

エルピーダメモリが破綻したニュースを聞いて、現代の日本においてインフラ産業を維持していくことの難しさ、について改めて思う。

自分が電気通信事業というインフラ産業に従事しているから余計にそう思うんでしょうけど、日本という国は、色んな意味において、インフラ産業を維持していくことが難しい国になってしまったんじゃないかな、と思っています。水・電気・運輸・通信、鉄鋼や今回のエルピーダのような半導体産業など、産業の基本を支えるインフラ産業に共通するのは、巨大な装置を必要とする設備産業である、ということ。設備産業を支える巨大な装置は、巨額な投資を必要とするがゆえに、その回収に長い時間がかかります。15年、20年、あるいは50年という長期的な視野に立った設備投資計画が必要。そういう長期間に渡って投資回収が可能な安定的な事業計画には、市場環境の変化に耐えるための仕組みが必要になります。それは時に、国の保護や国民の税金であったりする。

かつて、こういったインフラ事業は、国営企業あるいは半官半民の官制企業によって独占されていた。独占、というのは市場の変化に対する最大の防御で、この独占状態があったからこそ、電電公社は日本全国に電話網を張り巡らせることができたし、発電・送電一体の地域独占、という仕組みがあったから、電力会社は、世界に誇れる「無停電」電気供給網を全国に張り巡らせることができた。日本人特有の完璧主義、というのも手伝って、日本のインフラは世界一の水準を実現することができたと思います。言い換えれば、そういう高品質のインフラを構築するために、日本人は一種の税金のような形で、世界的にも高い公共料金を支払い続けていたわけですが。

その独占状態の弊害が一番極端な形で表面化したのが、福島原発事故で、国の独占政策に守られているがゆえに、国の原発政策に歩調を合わせ、国の政策に守られていると甘えた結果が、現在の悲惨な状況を生んでいるのも確か。でもやっぱり同じインフラを守っている会社に勤める身として思う。それでも東京電力は、これだけぼろぼろにけなされても、大規模停電を起こさず、頑張っているじゃないか、と。こんなすごい会社はないんじゃないか、と。

先日出張したミャンマーでも、ヤンゴンの真ん中のホテルでしょっちゅう停電が起こりました。米国でデータセンター事業にかかわってあきれたのは、頻発する電圧降下。停電まではいかないんだけど、設備がまともに動かなくなるレベルの電圧降下なんてのはしょっちゅう。日本の電気の安定供給というのは、世界に誇れるものなんだけど、日本人はそういうことを、「当り前」としてあまり評価してくれないんだよね。

評価したり感謝したりしないでもいいんだけど、料金が高い、サービスが悪い、と何かというと批判し、今回のような事故があると一斉にバッシングする。最初に書いたように、本来きわめて長期的な視野にたって、巨大な設備投資を徐々に回収していかないと成り立たない産業なのに、日本人自らが、その世界に誇るべき立派なインフラを維持する会社を非難し、だから官製企業はダメなんだと大合唱する。

話が飛躍するかもしれないけど、そういう姿を見ると、自衛隊とか米軍とか医療関係者に対する日本人の視線、というのと共通するものを感じるんだね。人の生活の安全とか健康といった非常に基本的なものを守る人たちに対して、日本人の視線は非常に冷たい。そういう人たちに対して、なぜか「無償」であることを求めようとする。自衛隊が被災地に行けば涙を流して喜ぶくせに、9条違反だとその存在そのものを全否定し、米軍基地は日本全国で爪はじき。医療関係者も、生活を犠牲にし、貧しい人に無料の診察をする天使のような医者がもてはやされ、正当な報酬や待遇を要求すると拝金主義と叩かれる。インフラはあって当たり前のもので、できればタダで使えればうれしいもの、としか思っていない感覚と、妙に共通するものを感じるんだなぁ。

学生の就職人気ランキングを見ても、インフラ系企業はほとんど見当たらなくて、JR東日本あたりが顔を出しているくらい。人材にも敬遠され、国の保護もなく、会社はたたかれ、国際競争にさらされて採算は悪化。日本のインフラ産業がそういう負のスパイラルに入っていった先で、世界に誇る日本のインフラの品質が劣化していくことに、日本人は耐えられるんだろうか。もし耐えられないというのなら、インフラを支える人たちに対する感謝とか、正当な対価とか、もう少し考えてもいいんじゃないかな、なんて思うんだけどねぇ。