「ヘンゼルとグレーテル」〜やっぱり何かしないといかんのか〜

今回の滞米、年末年始を家族で過ごして、女房と娘と一緒に日本に一旦戻る、というのが主目的なんですが、折角いるんだから、METで何か見ようよ、という話になる。ファウストも見たいし、年末恒例のヘンゼルとグレーテルも見たい、家族で着物を着てジルベスタコンサート、なんてのもいいね、と言っているうちに、結局、全部行こう、という話になってしまいました。後先考えてないなぁ、と思いつつ、今日のマチネで行ってきたのが、「ヘンゼルとグレーテル」。

実はこのオペラを通しで聞くのは初めてだったんですが、なんともキュートで美しい曲ですね。作曲者のフンパーティンクがワーグナーのお弟子さんだった、というのも初めて知ったのだけど、ワーグナーよりずっと軽やかで明るい。グリムの原作をシンプルにして設定をかなり変えた台本(フンパーティンクの妹さんが書いたんですってね)も分かりやすくて、それでいて原作の持っているファンタスティックな仕掛けもしっかり残っていて、いまだに年末になると上演され続ける人気作品になっているのもわかる気がする。

今回のMETの舞台は、2008年の新作プロダクション、ということで、「食欲」というキーワードを演出の軸にした現代的な舞台。冒頭から、子供たちが置かれている飢えという不幸を象徴する空の皿が幕に映し出され、舞台も、食べ物が全くなくなってしまったヘンゼルとグレーテルの家の台所、森の中で子供たちが夢見る台所、そして魔女の台所、と、常に台所が舞台になる。さらに、元のグリム童話の持っていたホラー風味を加えて、かなりグロテスクな場面も出てくる。

それはそれでわかるんだけど、でもそうなってしまうと、逆にわくわく度が殺がれてしまう感じがある。唯一わくわくしたのは、夢の台所に出てきた14人の天使たちで、これは舞台を見ていない人にはちょっとネタバレになるので言えないのだけど、出てきただけで嬉しくなるような楽しい仕掛け。なんだけど、このオペラ、ほかにももっとわくわくできるはずなのに、それがこのとんがった演出のために逆に削り取られてしまった感じがありました。もともとがファンタスティックなオペラなんだから、それをそのまま舞台にかければ、それでいいじゃん、なんて思っちゃうんだけどなぁ。深い森で星がきらきらして、その奥からお菓子の家(ジンジャーブレッドハウスなんですね)が出現する、というだけで十分わくわくするはずなのに。

昨日見たファウストの舞台にしてもそうだし、以前METに来た椿姫の舞台にしてもそうなのだけど、最近の舞台がオリジナルのオペラに持ち込んでいるもののうち、いったいどこまでが後世に残っていくのかな、と思います。その時代その時代の問題意識や流行を反映させて、作品の鮮度をあげよう、というのは分かるんだけど、それが逆にオリジナルの感動やカタルシスを削いでしまう。椿姫だって、ザルツブルグ演出よりも、二期会の栗山昌良演出の方がよっぽど泣けたしなぁ。そういう現象は、今世界中で起こっていることなんでしょうね。だからこそ逆に、そういうとんがった演出ばっかりじゃなくて、しっかりオリジナルの舞台を守っていく場所もあってほしいし、METというのはそういう場所の一つだと思うんだけど。

なんて思いながらも、年末のマチネのMETはやっぱり特別な場所。かなりの客席がドレスアップした子供たちで埋まり、魔女が出てきただけで可愛い歓声で劇場が満たされる。全て英語に訳された歌詞もしっかり聞き取れて、オケも当然ながら、ラストシーンの児童合唱も最高水準。昨年の「魔笛」同様、小学校向けの音楽鑑賞会を世界一流の舞台で見ているような感覚で楽しんでまいりました。昼間のMETってのは明るくて、夜とは全然印象が違い、正面玄関のクリスマスツリーもおもちゃっぽく見えて楽しめます。NYCは年末のカウントダウンに向けて、さらにさらににぎわってまいります。