「ファウスト」〜まっすぐで力のこもったメッセージ〜

ニュージャージに来ております。飛行機でニューアークに降り立って、外人ばっかりの街並みや地下鉄をうろうろしていると、なぜか居心地がよくて、帰ってきたなぁ、という感じがするから不思議。たった2年ほどしか住まなかった場所なのに、あっという間に肌になじむのは、家族がこちらに住んでいる、ということ以上に、街の持っている包容力のため、という気がします。

さて、今日は、昨晩見た、METの「ファウスト」のことを。今回の米国滞在は実質5日間弱、ということで、まさに寝る間も惜しんで、飛行機が到着するその日に見てまいりました。

飛行機がニューアークにつく予定時間が16時前後、ということで、空港からリンカーンセンターに直行し、現地で女房と娘に合流することに。飛行機の遅延だけが心配だったのですが、強い偏西風のおかげで逆に30分ほど早く到着。入国審査も混んでおらず、スムーズにタクシー乗り場へ。

タクシーの運転手さんが、「年末で誰もかれもがマンハッタンに向かっててさ、ホランドトンネル通過に1時間30分かかるっていうから、ジャージ・シティで電車捕まえてよ」とNJ側でおろされてしまう。おいおい、と思いましたが、Path Trailで33丁目に出て、久しぶりの地下鉄へ。相変わらず薄汚い地下鉄で、社内でブレイクダンスのパフォーマンス家族が、小さな子供まで踊りながらお金をもらっているのを眺めて、ニューヨークに戻ってきたなぁ、と実感する。1番線とか、ずいぶんきれいになってたけどね。

リンカーンセンターはすっかり12月の装いで、正面玄関にはヘンゼルとグレーテルの垂れ幕と、大きなクリスマスツリーが飾られています。ドレスアップした聴衆が集う華やかな雰囲気のロビーで、機内での睡眠不足を少しでも解消しよう、とベンチで仮眠を取ろうとするんだけど、なかなか眠れない。そのうちに、女房と娘がやってきて、久しぶりの再会のご挨拶もそこそこに、劇場の中へ。

これは最終幕まで絶対もたない、と思ったんだけど、序曲が始まってしまえば、最後まで舞台に集中、ほとんど意識飛ばず。20時間近くほとんど寝てない状態なのに、この長いオペラを集中して聴けるっていうのは、やっぱり一度全幕を自分たちで上演したおかげだと思います。曲の隅々まで、頭と体の中に入っているから、舞台上で起こることに対する感覚がすごく鋭敏になっている。この曲のここでそういう演出をするのか、とか、そこをそう歌うのか、とか、色んな局面が一つ一つ気になって、意識が飛ぶ余裕もない。

旧プロダクションによる舞台、と思っていたら、しっかり新プロダクションの舞台でした。今回の新プロダクションは、第二次大戦直後、という時代設定で、核の時代の不安を前面に出した非常にメッセージ性の強い舞台。でも、そのメッセージもアメリカ流のきわめて明快なメッセージ。メフィストが象徴する、人間の知識がもたらす破滅への道と、マルガレーテの象徴する愛の救済を対比させた上に、すべてをファウストの内面のドラマとして集約するラストシーン。あんまり細かく書くとみていない人に申し訳ないので書きませんが、非常に納得感のある舞台。娘としては、楽しみにしていたバレエシーンがあっさり全編カットされていたのにちょっとがっかりしたみたいですが。

出演者もみな力演。メフィストのRene Papeは、今まさに旬の歌手、という感じで、舞台上から客席まで、全てを自分の支配下においた絶対の自信の中で、余裕と茶目っ気にあふれた歌唱と演技。圧倒的でした。ファウストRoberto Alagnaには、カーテンコールでブーを浴びせた聴衆もいたけれど、全編安定感のある立派な歌唱で、ブーに対しては逆に聴衆からブラボーの反撃が浴びせられ、合唱陣やオケもみんなアラーニャを応援して拍手をしていました。私は彼の全盛期の舞台を見てないのだけど、女房に言わせれば、「全盛期を知ってる聴衆の一部が、昔のお前はもっとすごかったはずだぁ、みたいな感じでブー出してるんじゃないかなぁ」とのこと。可愛さ余って憎さ百倍、ということかも、だって。ファンの心理は複雑だねぇ。

マルガレーテのMalin Bystromさんは幕に投影されるアップの顔写真がモデルさんのような美人歌手なんだけど、中低音がすごく豊かに鳴る立派な歌い手さん。全盛期のアラーニャだったら、こういう共演者を圧倒できる歌唱だった、というのも彼へのブーの理由かもしれないけど、でも逆にアンサンブルとしては非常にバランスのとれたいい舞台だと思いました。

やはり自分のやった役、ということで、ヴァランタンのパートは全身耳にして聞いたんですが、ヴァランタン役のBrian Mulliganさんの歌が素晴らしかった。響きのポジションが全く揺らがない、芯のあるしっかりした歌唱で、ヴァランタンの断末魔の呪いの歌の説得力も素晴らしい。ヴァランタンはこう歌うんだぞ、という見本を聞かせてもらったような感じ。Mulliganさんは病気で出演できなくなった歌手の代役での登場だったのですが、代役と思えない熱演に、カーテンコールではひときわ大きな拍手をもらっていました。コールの時に、同じく代役だったマルタ役のTheodora Hansloweさんと、お互いの健闘をたたえるように抱き合っていたのが印象的でした。こういう人材の豊富さっていうのはさすがMETだよなぁ。合唱とオケもすーぱー上手だし。当り前だけど。でも、ところどころ、お、ガレリアの舞台の演出と似てる、なんて思う場所もあったりして、ガレリアもまんざらじゃないな、なんて思ったりするところがアサハカなんだが。ははは。

人類の知恵と知識の行きつく先にファウストの絶望があり、メフィストの地獄があり、その現代的かつ具体的な表象として、核のもたらす破滅の道がある。その全てを救済するのは、マルガレーテに象徴される弱者への慈悲と愛しかない。フクシマの悲劇がまさに進行しているこの世界に対するまっすぐなメッセージとして、作り手のリアルな思いと力のこもった舞台と受け止めました。やっぱりMETはすごい。