大田区民オペラ「ラ・ボエーム」〜家族よりも深い絆を〜

ラ・ボエーム」というオペラは、オペラに関わっている人間なら誰だって知っている有名演目ですし、上演される機会も多い人気演目だと思います。でも多分演出家にとっては結構難物なのかな〜という気がして、それはなんといっても、フランコ・ゼフィレッリという人が、メトロポリタンオペラの舞台で作り上げた、世界遺産にしてもいいような美しい舞台があり、その映像が世界中に広まっているから。METがいろんな演目を新演出で塗り替えても、ボエームとアイーダだけは手がつけられない、というのは、どう手を加えても越えられないスタンダードとしてあの舞台が君臨している証左だと思う。

昔何度か合唱団の一員として舞台に参加させてもらった大田区民オペラが、25周年の演目としてボエームをやるという。そしてその舞台を、やはり大田区民オペラでお世話になり、埼玉オペラでもお世話になった伊藤明子先生が演出するという。これは見に行かないとバチが当たる、とチケットを購入したものの、少し不安もあったのです。コシ・ファン・トゥッテカルメンで、独自の時代設定と読み替えで作品の別の面をあぶり出した伊藤先生が、このある意味演出家泣かせのスタンダードナンバーをどう料理するんだろう。懐かしい大田区民ホールアプリコの客席で、ちょっと緊張しながら幕開きを待ちました。
 

指揮 : 菊池 彦典
演出 : 伊藤 明子
総監督 : 山口 俊彦
プロデューサー : 山口 悠紀子
 
ロドルフォ:岡田 尚之
ショナール:鹿又 透
ベノア:山口 俊彦
ミミ:石上 朋美
マルチェッロ:小林 大祐
コッリーネ:ジョン・ハオ
アルチンドロ:岡野 守
ムゼッタ:栗原 利佳
パルピニョール:持木 弘
 
管弦楽:プロムジカリナシェンテ
合唱:大田区民オペラ合唱団
児童合唱:大田区立東調布第三小学校合唱団
鼓笛隊: 東京高等学校吹奏楽
装置:荒田 良
衣裳:前岡 直子
照明:成瀬 一裕
舞台監督:斎藤 美穂
字幕:Zimakuプラス
演出助手:生田 美由紀
 
という布陣でした。
 
1幕から、特に読み替えや時代設定の変更のない、スタンダードでオーソドックスな演出。舞台セットはリアルで、このヴェルズモオペラの世界をしっかり表現している。その中で動く歌手の皆さんが、なんだかすごく心地好さそうに演じている雰囲気が伝わってくる。無理な動きや設定のない自然な舞台で、そうか、このオペラの1幕って、群像劇であり、会話劇なんだ、ということが急にはっきりする。

さらに今回の舞台で初めて気づいたのだけど、この1幕の中ですでに、ミミとロドルフォの悲恋の物語が、ロドルフォの書いたお芝居の原稿が燃やされる、というシーンに象徴されているんですね。あっという間に儚く燃え尽きてしまうロドルフォのお芝居そのものが、自分の命を短くも激しく燃やした若いカップルの物語を象徴している。そういう入れ子構造への指摘は1幕のラストシーンにも明示されていて、照明のライトの中にひときわ光輝いて見えるのは、ロドルフォが書いている詩の原稿用紙なのです。彼が見つけたミミという美しい「詩」の輝きを象徴するように。伊藤先生の舞台は、以前のカルメンもそうだったけど、作品の中に隠されたメッセージをさりげなく発見させてくれるところが好きです。

そして第二幕。ボエームの第二幕といえば、ゼフィレッリ演出を永遠たらしめた、舞台上に現出するパリの街並みとそれを埋め尽くす群衆。第一幕の屋内劇から一転して、舞台魔術が生み出すスペクタクルを感じさせないといけない。第一幕から休憩なしで、幕の内側から聞こえる舞台転換の音を聞きながら、伊藤先生がどんな魔法を仕掛けるか、ワクワクしながら見守る。

幕が開いた途端、まさにそこにあるパリの雑踏の存在感に圧倒される。思わず聴衆から拍手が出ます。まさにMETのゼフィレッリの舞台のよう。舞台を埋め尽くす人人人、そして駆け回り跳ね回る子供達、そしてラストシーンでは30名近い軍楽隊が舞台に立ち並ぶ群衆の間を威風堂々行進していく。まるでゼフィレッリの「カルメン」の闘牛場のシーンの闘牛士の行進のように。まさに舞台のマジック。

こんな豪華で豊穣なオペラ舞台が日本で、しかも市民オペラの舞台で作れてしまうんだ、と驚愕しながら、これは蓄積なんだ、と思う。山口悠紀子先生という人が作り上げた人脈の蓄積。合唱団、助演者、ソリスト、舞台の裏方から、スポンサーや地元の音楽関係者とのコネクション。そして共演する小学校の合唱団や東京高校吹奏楽部といった大田区という場所が積み上げてきた音楽活動の蓄積。一年や二年じゃない、25年、あるいはもっと長い時間を経なければ、とても積み上げられなかった人の絆の厚み。

そしてその群衆たちが、児童合唱の一員からウェイター、通行人の一人一人に至るまで、パリに生きるリアルな人間として、なんて活き活きと動いていること。伊藤先生の演出ってそうだったなぁ、と思い出す。初日で合唱団の全員の名前を覚えて、一人一人の動きや演技を名指しで指摘しながら、緻密に、時には自由に作り上げていったあの笑顔。

第3幕の2組のカップルの愁嘆場でも、演出は決して過剰な主張をしない。でもそんな抑制された演出の中にも、緻密な計算を感じさせたのが第4幕。この幕の前半、ボヘミアン達の悪ふざけのシークエンスが、第3幕と終局の悲嘆という重いシーンの間に挿入される軽く明るいコミカルなシーンになっていて、ここで演じ手が本当に楽しそうに遊ばないと、前後の悲劇が際立たない。それもただお客様の受けを狙ったわざとらしい芝居じゃなくて、この若者たちが本当に身を寄せ合い、楽しみも悲しみも分け合って、家族よりも深い絆で結ばれている、そんな親密な空気を作らないといけない。

第4幕の冒頭、演じる歌い手さんの達者な演技も素晴らしかったけど、本当に皆さんが楽しそうに、のびのびと演じてらっしゃって、この家族みたいなあったかい空気って、伊藤先生の稽古場の空気だったなぁ、と思う。歌い手が心地よく、ストレスなく演じ、歌えるように、自然に100パーセントの力が出せるように、馴れ合いじゃない和やかな空気が満ちているのが、伊藤先生の稽古場だったなぁ、と。

でもそれって、大田区民オペラという場所の持っている温かさでもあった、とも思う。山口悠紀子先生、俊彦先生ご夫妻を中心とする人の輪が作る親密な空気。商業オペラじゃない、市民オペラという「カンパニー」の持つ一体感。ボエームというオペラそのものが、ボヘミアンの若者たちの家族のような絆を描いたオペラであったことを考えると、大田区民オペラという「大家族」が到達した場所に、ボエームがある、というのはひょっとしたら必然だったのかもしれません。

幕切れ、ロドルフォの慟哭と共にゆっくりと明かりが落ち、幕が静かに降りてきても、聴衆はしばらく身じろぎもしませんでした。じっくりと余韻を味わう沈黙のあと、会場を包みこんだ拍手は、舞台上の出演者の絆に対する賞賛だけでなく、客席を埋めた人々の間にも生まれた共感の絆の奏でる音でした。熱演の合唱団の皆さん、粒ぞろいのソリストはじめ出演者の皆さん、俊彦先生、悠紀子先生、そして、伊藤明子先生、この舞台に関わった全ての皆さんに、ブラヴィッシーモの言葉とともに、素晴らしい舞台を本当にありがとうございました。これからのますますのご活躍をお祈りしております。