ヤンゴン訪問記そのよん〜シュエダゴン・パゴダ〜

仕事は今日まで、ということで、明日から年末年始をNJの家で過ごす予定。今年は毎年やっている一年の総括ができるか、というと、あまりにも激動の1年だったので何とも言えない。個人的にも、日本という国自体にとっても、根本からいろんなものが覆り、見直され、リセットされて、今日の私がいます。私だけでなく、女房にとっても娘にとっても、初めての海外生活という稀有の体験をできた年になりました。色んな意味で、我が家のこれからにとってとても実りある一年になったと思います。

とりあえず、書き連ねてきたヤンゴン訪問記を今日で終えて、新年をNJで迎えようと思います。年明けには一旦家族そろって帰国予定。短い滞米となりますが、MET観劇やらコンサートやら、いろいろと盛りだくさんな滞米になりそう。これはこれでまた別途、レポートしようと思います。では、ヤンゴン訪問記、最終章ということで、今回は、ヤンゴン訪問の中でも最も強烈な経験になった、シュエダゴン・パゴダ訪問記を。まぁとにかくこの写真をごらん。
 

シュエダゴン・パゴダにそびえる黄金のストゥーパ

ストゥーパの高さは99.4メートル。この写真の塔の中央くらいに小さな点のように見えるのは、ストゥーパの補修作業に従事している人です。ストゥーパの巨大さが分かるかと思います。この巨大な塔の周囲を、大小の祈祷所と、60余りの小塔が囲んでおり、巨大な立体曼荼羅を構成しています。もともとヤンゴンは旧名ダゴン、といい、紀元前585年に仏陀の遺髪を貰い受け、ダゴンの地にストゥーパを立てて奉納したのが、このシュエダゴン・パゴダの始まり、と言われます。18世紀にこの地を征服した王が、これで戦争は終わり、ということで、「戦いの終わり」という意味の「ヤンゴン」という言葉を街の名前としたのだそうです。ちなみにイギリス占領時代には、ラングーン、という名前になりましたが、独立後、旧名のヤンゴンに戻されました。
 

正面の入り口の前に伸びる参道
 

参道から、巨大な階段を上る。階段の両側にはお土産物屋さんがずらりと並びます。
 

階段の両側に並ぶお土産物屋さん

この階段から先、寺院の中では、すべての参拝客が裸足にならねばなりません。床がそんなにきれいなわけではないし、階段の途中には犬が寝そべっていたり、なかなかワイルドな感じだけど、裸足の足で踏みしめながら登る階段の感触は決して悪くない。
 

階段を上り詰めると、こんな光景に圧倒されます。
 

塔の周りを囲む仏様。どうやら一体一体違う仏様らしい。
 

祈祷の仕方は、五体投地、とまではいかないまでも、体を深々と二つに折って、額を地面にすりつける祈り方。

面白いなぁ、と思ったのは、この寺院の仏様が、決して古びていないこと。恐らくこの極彩色の塗料を塗り替え塗り替え、常に新しい状態を保っているのだと思います。驚いたのは、この仏様の頭の後ろの後光。LEDでピカピカ光るようになっている。夜になると、塔を囲む仏様全員の後光がピカピカ光るのだけど、昼に行ったときには、ちょっと薄暗い祈祷所の仏様だけが光ってました。
 

こんな感じ。

祈祷所の中は、上の写真のように、集う人たちの休憩所のような感じになっています。夕方に行った時には持ってきたお弁当を広げて談笑する人々が車座になっていたり。
 

涅槃像のそばでごろ寝する人々。
 

子供のお坊さんたち。
 

お祈り中の娘さんたち。ほっぺについている黄色い塗料は日焼け止め。それぞれの好きなレシピで粉を調合して、お化粧のようにほっぺを飾ります。

LEDにせよ、祈祷所でのごろ寝にせよ、思ったことは、仏様と人々の間の距離の近さ。仏は決して衆生から遠く離れた場所にいる高邁な存在ではなく、人々の日常に寄り添ってともに生きているリアルな存在なんです。日本の仏像とか仏様とは立ち位置がかなり違っている。
 

英国が持ち帰ろうとして失敗し、川に沈めてしまった鐘を、ミャンマーの人々が引き上げて祀った、と言われる、マハ・ガンダの釣鐘。

民衆が寺院を維持しようとする思いはとても強く、ストゥーパを飾る金箔の総量は10トンとも言われます。今ははずされていますが、かつてはこのストゥーパのてっぺんに、76カラットのダイヤが埋め込まれていたのだそうな。ミャンマーの人々が貧しいのは、少し儲けると全部寺院に寄進してしまうからだ、という人もいるそうです。

写真は取れませんでしたが、このパゴダ訪問の際、突然警備が厳しくなった、と思ったら、現れたのは、水色のスーツに身をまとったアメリカ人のおばさんと、彼女を取り囲む警備員たちでした。ヒラリー・クリントンさんだったんですね。アメリカ人観光客が狂喜していた。

人件費の安さと国民の勤勉さ、そして何よりこれから成長していく勢いのある国。加えてタイの洪水の影響もあり、工場の分散によるリスク分散を図ろう、ということで、ミャンマーに目をつけている日本企業はたくさんいるそうです。民主化を強いる大国、経済的な圧力を加え続ける隣の大国、いろんな国の思惑の中で、自らの貧しさを克服していこうとするミャンマーという国。軍事政権の横暴を伝える報道や、銃殺されたジャーナリストのことなどを思いながらも、それでもやはり、この国に幸あれ、と願うのは、仏様と寄り添って暮らすこの国の人々の表情が、見えない未来に怯えながら東京を歩く人々の荒んだ表情に比べて、ずっと幸福そうに見えるせいかもしれません。