東京シティオペラ協会「アドリアーナ・ルクヴルール」〜奇跡的なバランス〜

オペラの舞台を見ていると、世界的なソリストをずらりとそろえたお金のかかった来日公演とかでも、首をかしげざるを得ない舞台に出会うことが結構あります。オーケストラとの息がどうしても合わない、というのはよくあることですが、それよりもよくあるのが、ソリストのバランスが今一つ、というケース。デュエットでどうしても二人の声がしっくり合わない、とか、全体のアンサンブルの中で、ソリストの一人だけがどうしても乗り遅れる、とか。ビッグネームのソリストの個人芸に圧倒されて満足して家路についたとしても、舞台全体としてみたら、「ちょっと今一つだったよねー」と思わざるを得ない舞台っていうのは結構ある。

土曜日、女房が敬愛する小宮順子先生が、アドリアーナ・ルクヴルールを演じるというので、何はともあれ行かねば、と見に行きました、東京シティオペラ協会の「アドリアーナ・ルクヴルール」。全てが見事にバランスが取れると、こんなにカタルシスを得ることができるのだ、ということに驚かされた、奇跡のような舞台を体感して参りました。
 
【総監督】川村 敬一
【指 揮】草川 正憲
【副指揮】西谷 亮 / 横山 奏
【演 出】今井 伸昭
【ナレーション】矢島 正明
 
【アドリアーナ】小宮 順子
【ミショネ】清水 良一
【マウリツィオ】小林 大作
【ブイヨン公爵】東原 貞彦
【ブイヨン公妃】福間 章子
【シャズイユ】川野 浩史
【ジュヴノー】浅川 荘子
【ダンジュヴィル】青木 希衣子
【ポアソン】木野 千晶
【キノー】野村 真土
 
【エレクトーン】赤塚 博美
【クラビノーバ】伊倉 由紀子

という布陣でした。
 
東京シティオペラ協会は、女房が「魔笛」の舞台でお世話になって、その時パミーナを演じてらっしゃったのが小宮先生。舞台に出た瞬間に、文句なしに、この人がプリマだ、と思わせる存在感と、それを裏切らない歌唱テクニックに圧倒された印象で、小宮先生がアドリアーナをやる、というだけで期待に胸ふくらませて、ヤマハエレクトーンシティ渋谷に行く。

客席に着いたら、となりの女房が、「ところで、今日のナレーションをやるのは、矢島正明さんだよ」という。私の子供時代から慣れ親しんだ、スタートレックのカーク船長の声の矢島さんが、東京シティオペラ協会の公演のナレーションをしょっちゅうやってらっしゃる、というのは聞いていたのですが、今回の公演も矢島さんが担当される、というのは、当日になって初めて知りました。もうそれだけでテンションも期待感も200%ぐらい急上昇する。

開演して、会場が暗転すると、下手端に矢島さんが登場、これから演じられるオペラのあらすじを説明してくれます。イタリア語原語での上演、しかも字幕がない、ということで、このナレーションが舞台の理解の助けになるわけですが、時折アリアの歌詞をセリフとして朗読されるその表現も、決して過剰過ぎず、なおかつその場面がまさに眼前にさあっと広がるような、本当に素晴らしいナレーション。日本語一つ一つの響きの見事さ、聴衆の集中力を一瞬で集めてしまう微妙に変化する声の色。この言葉を聞き逃すわけにはいかない、と思わせてしまう細かいテクニックの完成度。これを聞きながら、実はちょっと不安になる。矢島さんのナレーションが素晴らしすぎて、これから舞台で繰り広げられる場面が、すでに頭の中である程度出来上がってしまうのです。これからそれを実際に演じる歌い手さんにはプレッシャーになるのじゃないか、と思うほど、一つ一つの場面が印象的に、かつ感動的にイメージされてしまう。これはどうなるだろう、と、少しドキドキしながら、本編を待ちます。

ヤマハエレクトーンシティ渋谷、というところは、いわゆる小劇場サイズの小さな舞台で、今回の舞台道具も決して豪華なものではなく、むしろシンプルで質素なもの。そこに、エレクトーンの響きがとてもゴージャスに響く。前回の「魔笛」でも書きましたが、赤塚博美さんのエレクトーン伴奏は、電子的な音に人の打鍵の温かさを含ませながら、豊かな音色を自然に響かせてくれます。そして冒頭のミショネと役者たちのアンサンブルから、華やかで流麗なチレアの音楽がさぁっと広がっていく。

女房は、このアンサンブルの4人のうちの1人をやったことがあるのだけど、今回の舞台の4人も、過剰すぎない芝居っ気と声のバランスが見事だった。アドリアーナ、というオペラは、なんといってもアドリアーナ・マウリツィオ・ミショネ、というセンターの3人のバランスがカギなのだけど、その脇役のアンサンブルのバランスもとてもよくて、好発進、という感じ。

そして、アドリアーナの登場です。上手奥から登場した瞬間から、「ああ、この人が主役だ」とはっきり感じさせる抜群のオーラ。イタリア語のセリフのシーン、細かい所作、立ち姿から衣装に至るまで(たぶん衣装は全て自前で作られたんじゃないかなー)、このアドリアーナという役に対する小宮先生のこだわり、思いのあふれる演技。それでいて、発声は見事にコントロールされている。正直申し上げて、小宮先生の持ち声からすると、アドリアーナという役は音域的に低すぎると思いますし、実際、低声部の表現には相当苦労されていたと思います。でも、そこで無理に音量を求めず、あくまで響きにのみ集中させた繊細な発声で、一つ一つのフレーズが終わるたびに思わずため息がもれるような見事な完成度。まさに神がかり的な集中力。

その主役の集中力を、決して損なうことのなかったのが、小林大作さんのマウリツィオと、清水良一さんのミショネ。この3人の密なアンサンブルを、このサイズの会場で聴けた、というのも、舞台の満足度を高めた気がします。出演者の息遣いすら届くような距離感で、細かいフレーズの緊張感を漏らさず聞き取ることができる。これが大きな会場だったら、もっと散漫になってしまっていたかもしれない。

全体を支える脇役の人たちも充実していて、先日の4人もそうですが、所作がとても落ち着いて見えたブイヨン公爵夫人、抜群の安定感の東原さんのブイヨン公爵、楽しそうにコメディアンを演じていた川野さんのジャズイユ、どれをとってもバランスがよく、中心の3人のアンサンブルが際立つ。とにかく3人とも、体幹がゆるがないんだね。どんなに劇的な表現でも、どんなに音域が跳躍しても、決して体幹がぶれない。無理に持ち上げようとか、無理にテンション上げよう、みたいな体の無茶な動きが全くない。しっかり固められたフォームにゆるぎがない。

アドリアーナは小宮先生の声域には合わないかな、というのもありますし、そして何より、日本という国では、ソプラノ歌手の数の割にオペラ公演の数が少なすぎる現状があります。それを考えると、ひょっとしたら、小宮先生がアドリアーナを全幕演じられるのは、これが最後の機会かもしれない。あるいはそう思いながら演じてらっしゃるのじゃないか、そう思えるほど、気迫に満ちた演技が続き、それを小林さんや清水さんが安定した歌唱で支える。矢島さんの声が描き出す頭の中の舞台を、現実のパフォーマンスが軽々と凌駕していく、途中から、この場にいられる、ということが奇跡のように思えてくるような、そんな時間が過ぎていく。

終演後、客出しで外にいらっしゃった小宮先生を見ただけで、女房がぼろぼろ涙を流しながら抱きついておりました。アドリアーナというオペラは最近日本で上演されることも多くなったようだけど、ひょっとしたらこれ以上の舞台はもう二度と見られないかもしれない。どんなビッグネームのソリストをそろえた海外オペラの来日公演を見に行っても、この日感じることができたカタルシスは感じることができないかもしれない。本当に一つ、忘れがたい舞台の現場に居合わせることができました。東京シティオペラ協会のみなさん、出演者のみなさん、そして何より、一つの役に対する真剣勝負のありようを示してくれた小宮先生に感謝です。やっぱり舞台っていいなぁ。本当にいいなぁ。