娘の小学校入学手続き

昨日、娘がこちらでお世話になる、ニュージャージ日本人学校の面接に、家族3人で行く。パパは会社を早引けして、張り切って滅多にしないネクタイなんぞして帰宅。女房の運転で、助手席ではらはらしながら、高速道路をぶっ飛ばす。

我々の住んでいるCliffside Parkは、ジョージワシントンブリッジのすぐそばの、Fort Leeという市の隣です。Fort Leeから北西に伸びる4号線という高速道路を飛ばしていくと、ガーデンステートプラザなどのショッピングモールが見えてくる。マンハッタンからわざわざ買い物のためにバスに乗って来る人もいる、という人気のモール。でもそんな沿線の風景に目をやる余裕もなく、ひたすらぶっ飛ばしていくと、道は208号という別の名前に変わります。娘の小学校のあるOaklandは、この道がさらに、287号という道に変わってすぐのところにある。Fort Leeからは車で30分ほどのところです。(と言っても、平均時速80キロ以上で飛ばしてきた場合の時間)

287号に入ってすぐのところで、突然渋滞になる。後ろからけたたましく消防車やパトカーが追い抜いていったと思うと、ぴたり、と止まって動かなくなってしまう。事故みたいだねぇ、という話をして、学校に少し遅れる旨の連絡を入れ、しばし待っていると、上空にヘリコプターが旋回し始める。おや、報道ヘリが出るほどの事故かいな、と思ったら、そのヘリがホバリングしながら降下し始め、こちらからは見えない事故現場に着陸した様子。どうもけが人を収容しているらしい。しばらく経って、ヘリがびゅいーん、と舞い上がり、車も動き出しました。ヘリが飛び立ったときに、前方の車から歓声が上がる。こんなの見たの初めてだよ。

小学校に着いて、娘だけが別室で、担任の先生や校長先生と面談。その間、学校の行事などのスナップ写真を編集したDVDを見せてもらう。小学校1年生から中学3年生(こちらで言うところの9年生)まで、全校生徒70名ほどの小さな学校。学校からは連なる山並みが見え、冬は雪に埋もれる、田舎の分校のような学校です。校外活動、ということで、とうもろこし畑の迷路で遊んだり、いちご狩りやらカヌー遊びをしたりしている写真もあれば、国連本部に社会科見学に行ったりしている様子が次々出てくる。田舎でのんびりしているんだか、都会なんだかよく分からない。というか、以前にも書いたけど、マンハッタンというエリアがすごく特殊で、同じニューヨークでも少し北に行ったり、南のStaten島に渡れば、ニュージャージ同様緑に囲まれた自然豊かな土地です。マンハッタンという特殊な場所にほど近い田舎の学校、ということだね。

娘は面接もクリアし、学校入学が決まりました。早速、8日の始業式から、Fort Leeを出発するスクールバスで通学です。スクールバスにも、駐車場の利用方法や、集合時間が決まっており、ちゃんと乗るべき生徒が乗っているかをチェックする係の方、などがいらっしゃる。再び女房の車で自宅まで帰った後、この「バス委員」の方に電話。色々とお話を伺い、段取りを確認。

NY近辺の日本人社会、というのは、結構狭い社会です。私が所属しているNY混声合唱団も、ある意味NYという人種のるつぼで、少数民族である日本人が肩を寄せ合っているコミュニティ、という感覚がないでもない。女房と娘も、これから、娘の学校を中心とするそういうコミュニティの中に参加していくことになるんだなぁ、と思います。

そういうコミュニティというのは、居心地の良さや、色んな情報が手に入る便利さだけで成り立っているわけじゃない。正直、人間関係が鬱陶しくなることだってある。でも、何事も、いいことばっかりじゃない、しんどいことも含めて全部まるっと飲み込んで、付き合っていかないといけない。先日、震災後の東北の地域社会が、必死にお互い譲り合い助け合っている姿を見て、東京近辺に住んでいると思われる人が、「地域のコミュニティが大事だ、ということは分かったけど、どうやればそういうコミュニケーションが取れるのか、分からない」と言っていました。でも、ニューヨークという所は、全然知らない同士でも、席が隣り合った、というだけで、10年来の友達のように語り合うことができる場所。そういうコミュニケーション上手な人たちが沢山集まってくる土地で、これから娘や女房が、どんな人の縁と結ばれていくのか、それも今後の楽しみです。