変化というものは

先日の日記で、3ヶ月程度で日本に帰ってみても、そんなに違和感がなかった、という話を書きました。実際、一番違和感を感じたのは成田空港から調布まで乗ったリムジンバスだったりする。異様に静かなんだね。ほとんど無音状態。これって、道路の状態がすごくいいのと、車体の状態がすごくいいのの相乗効果ですよね。NJからマンハッタンの通勤バスは、ただでさえ車体がオンボロなところに、道路がデコボコなものだから、ものすごくガタピシうるさいです。これに乗りなれた身には、日本のバスの滑らかな走行には感動させられる。さすが公共サービス水準世界一の国。

日常生活にはさほど違和感は感じず、町並みも見慣れた感じだったんですが、とはいってもやはり小さな変化はある。最寄の西調布駅は構内工事中で、階段がすごく狭くなっていたり、駅から家までの道の途中の家並みも、3ヶ月前にはなかった工事中の家があったり、新しい駐車場ができていたりする。もちろん、全体の町並みをがらりと変えるほどの変化ではないのですが、少しずつ少しずつ変わっている。

そういう小さな変化というのは、たとえ3ヶ月という短い期間でも着実に起こっているもので、それが1年・2年と積み重なっていけば、見まごうほどの大きな変化になってしまうんでしょうね。3ヶ月ぶりで帰った自宅でさえ、いつの間にかメダカの水槽が置いてあり(学校で稚魚をもらってきたので娘が育て始めたのだそうな)、知らない食器が増えていたり(女房の衝動買い)、外からは見えない小さな変化がある。加えて、私が帰っている間に、先々のことを考えて、庭にあった育ちすぎた大きな木を二本、業者さんに頼んで切ってもらったから、家の外観もかなり変わりました。

3ヶ月ぶりに会った娘は、というと、そんなに身長は伸びてないけど、プロポーションと雰囲気がちょっと変わって、なんだかちょっと大人びてきました。この頃の子供っていうのは、身長の伸びも多少あるけど、むしろ手足が伸びてくるような感じがするね。錯覚なのかもしれないんだけど。この調子でいくと、来年くらいには、娘の身長は女房を追い抜きます。

亡父の法事で慌しく兵庫の実家に帰省し、家族3人水入らずは新大阪駅前のホテルでの1泊だけ。というのも、娘はちょうど私が帰国していた一週間、千葉の岩井海岸に恒例の臨海学校に行っていたのです。新大阪駅前のホテルの近くで、女房が見つけてきた音楽スタジオで、娘のピアノコンクールの練習をする。結構難しいブルグミュラーの「ジプシー」という曲なんかをバラバラ弾いている。たいしたもんだ。

子供の成長と変化が一番大きいだろうなぁ、と、帰国前から予想はしていたのですが、さほど変わらぬ町並みに比べて、やっぱり急に大人びた娘の変化が一番心に残りました。単なる身体的変化、というだけじゃなくて、母子家庭で頑張っている精神的な部分もあるのかもしれないね。そうやって頑張っていた成果で、今朝方、女房から、「ピアノコンクールの予選を無事通過」との朗報が入ってきました。今回のコンクールに参加するにあたっては、パパも、「やるからにはパーフェクトを目指さないと意味がない」とかなり厳しい約束をして、娘は、弾けないパートを何度も何度も、出来るまで泣きながら練習し続けていたそうです。予選ではその甲斐あって、ほぼノーミスのパーフェクト演奏だったんだって。頑張ったね。

色んなものが変化していくけれど、自分自身は45歳にもなったので、もう変化する余地もなかろう、と思っていました。でも、現地駐在員としての毎日の仕事は、今まで経験した自分のキャリアを大幅に塗り替えるもので、毎日が刺激的に過ぎていきます。そうやって自分も変化していく。「行く川の流れは」と慨嘆した鴨長明の思いを今更のように共有する日々です。