ご挨拶の声を大きくするには

週末、娘の学校で、「新入生歓迎音楽会」というのがありました。娘の小学校はイベントがすごく少なくて、父兄の前で子供たちが何かを発表する機会、というのは、この音楽会とクリスマス祝会くらい。しかも、今年は娘が、4年生を代表して新入生への短い歓迎の挨拶をする、という。さらに、音楽会の後に、父兄会の総会、というのが開催され、この父兄会の副会長であるうちの女房が、総会の司会進行を務めるという。親子そろって、人前でご挨拶をする機会が重なりました。パパも張り切って最前列の席を確保。

娘は、「キンチョーして声が高くなっちゃった」と大テレだったのですが、女房は舞台ずれ、じゃない、舞台なれしていることもあり、手馴れた進行ぶり。終わった後で、同級生のお母さんに、「xxさんって、何かこういうお仕事をやってらっしゃったの?」なんて聞かれて、ガレリア座のことを詳しく説明するわけにもいかず、「いや別に何も」と笑顔でごまかしておりました。小学校ではまだ正体はバレておらず、普通の父兄を装っております。

人前で挨拶をする、というのは、そこにいる人たち全員の注目を自分に集める、ということですから、声が大きい、というのはそれだけで武器になる。声が小さい、というのはそれだけで不利なんですね。そういう意味では、私にせよ女房にせよ、声の訓練をやっている人間は有利ではあるのだけど、「いいよね、xxさんは声が大きいから」と言われると、ちょっと違う気もするんだなぁ。

というのも、結構あることなんだけど、人前で喋りなさい、と言われると、普段喋っている時よりも声が小さくなってしまう人がいますよね。マイクでも拾えない声になってしまって、「もう少し大きな声で」とか、「マイクをもう少し近づけて」なんて注意されたりする。注意されたら、「あ、すみません」と大きな声で言って、すぐにまた元の声量に戻ってしまう。聞こえない状況は全く改善されない。沢山の人に聞かせないといけない場面で、普段より小さい声になってしまう、というのは、もともと持っている声の大小とは違う要因じゃないかな、と思う。

もちろん、単純に、人前で喋ることに慣れていなくて緊張してしまう、ということなんですけど、そういう意識の持ちようというのは、声の大小、というのと鶏と卵の関係のような気がするんです。人前で喋る、いる人全てに自分の声が伝わるように、と一生懸命喋る、声が大きくなる、人前で喋るのが上手と言われる・・・という好循環にはまる人。人前で喋る、緊張して、人に伝えよう、という意識が消えて、ただ喋ることだけに一生懸命になる、声が小さくなる、ますます人前で喋るのが苦手になる・・・という悪循環にはまる人。

そう考えると、「声が大きいから、人前で挨拶する時に得だ」というのはちょっと違っていて、「人前で喋る時に、なるべく沢山の人たちに聞こえるように喋ろうとしたから、声が大きくなった」とも言えるんじゃないかなぁ。そこの意識の持ち方によって、声帯を上手に鳴らすテクニックが自然に身につく、という部分もある気がする。

ガレリア座の誰かが、「『大きな声でうらやましいです』なんて言ってくるやつがいるけど、そんなのは大間違いで、誰だって持ってる声帯自体はそんなに変わらない。問題は、伝えようとする意識を持って、いかに声帯を鍛えるかだ」みたいなことを言っていました。同じ人が言うには、「みんな、居酒屋でバイトをすりゃいいんだよ。」あの喧騒の中で、厨房へオーダを通す声を常に出し続ければ、誰だっていい声になる。声帯を鍛えることができる。

そういう意味で言うと、「客席にいる人たちはみんな野菜畑だと思えば緊張しない」みたいなことを言う人がいますけど、ちょっと違う気がしてます。野菜畑に向かって表現していても、どんどん自分の中に表現が縮こまっていくだけ。本当に伝えたいのなら、客席にいるお客様の一人ひとりに対して、きちんと「あなたに伝えているんですよ」という気持ちを持って表現しないといけない。そういう意識を持つと、逆に緊張しないんじゃないかな、なんて思うのだけど、それは私が舞台ずれしているからだろうか?