日本語ベタ

週末のインプットを例によって並べます。

・金曜日、身内のコンサートの練習で、久しぶりに歌い手連中で集まる。やっぱり楽しいなぁ。
・金曜日、図書館で借りていた「イエスの遺伝子」を読了。キリスト教伝奇モノ?
・土曜日、先日録画していた、二期会の「魔笛」と、「マリツァ伯爵夫人」を見終わる。時事ネタってのは使い方が難しいと実感。
・日曜日、先日録画していた特撮映画「マタンゴ」を見る。切り込みが甘いんだよなぁ。
・日曜日、「義経」をちらりと見る。

今日は、最後の、「義経」の話を書こうと思います。といいつつ、仕事が結構アップアップなので、時間を見ながらボチボチ書いていきますね。

義経」、全編をきっちり見ているわけじゃないんですが、大河らしい題材、大河ならではの堂々たる演出、見ごたえのあるドラマだなぁ、と思っています。義経の生涯自体が波乱万丈だから、大河になりやすいんですよね。「え、もう義仲死んじゃうの?」「え、もう一の谷?」なんて、ストーリ展開の速さに結構びびってしまう。いつまでたってもダラダラと何も起こらない大河ドラマが多かった中で、このスピード感が実によい。

しかし、最近の大河ドラマ、視聴率を上げるために若手俳優をどんどこ起用するのはいいんだけど、大物俳優の芝居と並べてみた時に、目を、じゃないな、耳を覆わんばかりに汚い日本語と、老練な美しい日本語が混在するこの違和感はなんなのだろう。

主役の滝沢クンのセリフ下手、というのは色んなところで指摘されているみたいですね。「セリフが覚えられないのでセリフがどんどん短くなってる」なんて悪態ついてる人もいるみたいですけど、いや、滝沢クン頑張ってると思います。難しいセリフも一生懸命喋ってる。何よりこの人は、立ち姿と殺陣が素晴らしい。この人の殺陣の美しさとキレの良さが、ドラマのスピーディなテンポ感につながっている部分って、大きいと思います。

大河に起用される若手俳優さんたちは、それなりに存在感のある人たちだから、上戸彩さんも、石原ひとみさんも、頑張ってると思う。でもねぇ、やっぱりみんな、日本語がヘタなんだよなぁ。

日本語がヘタ、というのは、やはりセリフの発声の基本ができていない、ということ。滑舌がとにかく悪いのももちろんなんだけど、とにかく、「耳に心地よい声」じゃないんです。言葉をしっかり伝えてくる声でもなく、まろやかで豊かな倍音を持つ声でもない。とにかくペランとした、よく回らない舌足らずな発声で、一生懸命喋っているセリフ。それが、松平健さんや、ほとんど妖怪の域に達している平幹二朗さんや夏木マリさん、なかんづく、白石加代子さんなんかの、豊かに響く見事な日本語と混在している違和感。

これが、よく言われる、若者の日本語の乱れ、という現象と地続きの現象でないことを祈りたいのですが、なんとなく関連がある気がする。若者の日本語の乱れ、と言ったとき、単語としての日本語の豊かさが失われていることに対する嘆きはよく聞かれます。でも、ひょっとして問題はもっと深い所にあって、「豊かに、伸びやかに声帯を鳴らした、美しい声で語られる日本語」自体が、次第に失われてきている、なんてことはないかなぁ。

そういうことを感じるのは、「義経」だけの現象じゃなくて、最近のテレビのアナウンサーの声を聴いていても思うのです。森田美由紀さんや、有働由美子さん、山根基世さんなど、実に豊かでまろやかな響きをもった声のアナウンサーも、もちろん多い。でも、一方で、口先だけで捌いた、舌足らずのピーチク声のアナウンサーが、民放だけじゃなく、NHKにも多くなってる気がする。きちんとお腹で支えた、豊かな声帯の響きが、TVから流れてこなくなっている気がするんです。

以前、この日記で、杉村春子さんの映像を見て、その美しい日本語の捌き方に驚嘆したことを書きました。今でも時々、日曜美術館山根基世さんのナレーションを聞くと、ほっとします。こういう美しい声の美しい日本語をきちんと操れるような訓練というのも、子供の頃から必要なんじゃないかなぁ。人前で大きな声できちんと喋る、という訓練。携帯メールでばっかりコミュニケーションしてると、声の美しさ、豊かさをどんどん失っちゃうよ。