シンプルな方が大変

我が家で使っていた電子レンジが先日静かに息を引き取りました。女房が学生時代から使っていた、というから、もう10年以上働き続けてくれたことになります。ご冥福を祈りつつ、新しい電子レンジを購入。これが女房に言わせると、中々使い勝手が分からず苦労しているそうです。

問題は、色とりどりのボタンと共に装備されている様々な特殊機能。ボタン一つピッと押すだけで、あれもできます、これもできます、と歌っているのだけど、逆に、単純にx分y度で加熱、といったシンプルな操作が簡単にできない。プログラムされた動作は簡単にできるのだけど、こちらがマニュアルで指定しようとすると、逆に手間がかかってしまう。女房はプリプリ怒りながら、「機能をつければいいってもんじゃないだよね」と、取り扱い説明書を見ながら、日々奮闘しております。

携帯電話でも言えることですが、とにかく「基本機能」と言われるものが多すぎる。その「基本機能」すら全て使いこなせないところに、その端末だけにできる「特殊機能」が加わってくるから、もう訳が分からない。携帯電話の機能の全てを縦横に使いこなしている人ってのは、ほんとに一握りしかいないんじゃないですかねぇ。

こういう認識はきっとメーカー側にもあって、「機能をシンプルにしました」なんてのを売りにする商品が出てきて人気が出たりします。でも、作り手から見ると、この「シンプルにする」というのはすごく怖いことだと思います。そこには、「この機能は要らない」と捨てる判断が必要。日本人は判断することが嫌いです。判断には責任を伴いますから、1億総無責任人種である日本人は、シンプル化に対して非常に抵抗感があるのでは、と思います。

「多機能化」を素晴らしいこと、と賞賛する向きがありますけど、実は色んな機能を詰め込もうとすることっていうのには、大した判断は必要ないんですよね。あれもできる、これもできる、と足し算していけばいいですから、あとは機能を外から拾ってくるだけでいい。でもそれって、実は、何も判断していないに等しいんじゃないかな。本当にいい商品や、世の中を変えた素晴らしい商品、というのを紐解けば、実は「どれだけ盛り込むか」よりも、「どれだけ切り捨てるか」という判断が生み出した商品の方が多いんじゃないかな、と思います。

女房の元同僚だった方が、今、ある会社の若手女性取締役としてバリバリ活躍してらっしゃるんですが、その方は、「この事業は止める」と判断するのがものすごく早くて、決めたらすぐに行動できる人なんだって。会社経営をしていけば、色んな判断があるだろうけど、難度という点でいえば、「これをやらない」と決めることが一番易しくて、「これをやる」と決めることが次に易しくて、「これをやめる」と決めることが一番難しいのかもしれないね。

実は舞台も一緒で、週末、ヴァランタンの死の場面の演出がついたのだけど、一緒にやっていた女房と、「演技過剰だったよねぇ」と反省する。もちろん、演出がついたばっかりの頃って言うのは、あれもやってみよう、これもやってみよう、という時期ですから、ある程度は過剰になってしまうんですが、これからはこれに、「これをやめる」という判断をどんどん下していかないといけない。シンプルにシンプルに。その方がよっぽど大変だけど、そうやって研ぎ澄まされた簡素な表現の方が、よっぽどお客様の心に届くんですよね。