今のうちだけのことだからねぇ

うちの娘は一人っ子なのと生まれつきの臆病者なので、世間の同じ年のお子さんと比べても、かなりの甘えん坊だと思います。一方で親の側も子供にべったりになってるなぁ、と思う。この4月で娘も4年生になったので、色々と一人でできることを増やしていければ、と口では言いつつ、一方で、まだいいかなぁ、なんて思ってしまう。親の側も子離れできていないんだよねぇ。

ガレリア座には、娘と同じ年の男の子がいるんだけど、この子はすごくしっかりしていて、地下鉄を乗りついで東京都内どこでも一人で移動してしまう。東京の地下鉄網は世界一複雑で、大人でも迷ってしまうような構造になっていると思うのに、塾の最寄り駅から遠く離れたガレリア座の練習会場まで、平気な顔で一人ですたすたやってきてしまう。どこに出かけるのにも親と一緒じゃないと動けないうちの娘とは全然違う。

娘がいつも楽しみにしているのが、夜寝る前、娘のベッドに添い寝して、パパやママが読んでくれるお話の本。パパもママも役者だから、そりゃあ気合を入れて朗読をするのだけど、これが中々やめられない。先日も、もう4年生になったんだから、寝る前の添い寝はなしね、といったら娘は大泣き。もうしばらく仕方ないか、と女房と苦笑いする。

でもねぇ、なんとなく、無理してやめる必要もないかなぁ、とは思ってしまうのです。小学校のお受験の時、まだ幼稚園児の子供たちが、精一杯背伸びした課題を与えられて、「他の子はできるのに、どうしてこの子はできないんだろう」と親が神経症になる・・・という姿を一杯見ました。でもねぇ、幼稚園の時にリボン結びが上手にできなくってもいいじゃない。中学生になってもできない、となったらちょっと問題だけどさ。いずれできるようになるものを、早くできるようになったからといって、ゴール地点でそんなに差がつくわけでもないんじゃないかなぁ。

家族そろって大好きな漫画で、榛野なな恵さんの「Papa Told Me」という漫画があります。実にほのぼのしながら、人生の残酷な局面を、はっとするほど鋭く切り取っていたりする秀作シリーズ。この中で、主人公の知世ちゃんが小さい頃、毎晩寝る前に、パパに本を読んでもらっていた、というお話がある。パパは忙しい中、かなりバテバテになりながら、知世ちゃんに本を読んであげる。本のない時には、でたらめ話を語ってあげたりする。知世ちゃんは、パパが仕事で疲れていて、この習慣を続けるのがしんどくなっているのに気付き、ある夜、「パパ、もう知世は一人で眠れるし、本も自分で読めるから、いいよ」と言う。その瞬間、パパの信吉さんは、「僕はものすごく贅沢で幸福な時間を、この子からもらっていたんじゃないだろうか」と気付く。

世の中の人間関係で、お互いが全幅の信頼関係で結ばれているものっていうのはそんなにありません。どこかに不信感や、なにかしらのエゴが介在してくる。子供から親に向けられるまじりっけなしの信頼感と愛情、というのは、それだけで親にとって心の支えであり、何にも変えがたい幸福だったりする。

女房とは、「まぁいいじゃんねぇ、もう少し大人になったら、こっちから頼んでも添い寝なんかさせてもらえないんだし」と言い合っています。先日は「ニルスの不思議な旅」を読み終えて、今は「小公女」を読み始めました。いじわるなミンチン先生のセリフをどう読むか、パパは今から色々と演技プランを考えています。「ニルス」のラストシーンなんか、読んでるパパが涙ぐんじゃったりして。娘のために読んでるのか、自分のために読んでるのか、よく分からん。