人に胸を張れる仕事

先日、食事の席で、親戚の高校生がずっと携帯とにらめっこしていた。ちょっとなぁ、と思ったので、

「携帯売ってる会社にいる私が言うのもなんだが、携帯ばっかり見てるとほんとによくないぞ」

と言ったら、

「じゃ、売るなよ」

と。当たり前の反応だよなぁ。

よく社内の「コンプライアンス=法令順守」という話をする時に言われる話で、

「自分のやったことを、自分の家族に胸を張って話すことができますか?」

という話が出てきます。違法な取引や後ろ暗いビジネスに手を染める前に、自分の胸に手を当てて、「この話を自分の家族に話せるか?」と問い直せ、と。

でもこの話って、最近ちょっと違ってきてる気もするんだね。コンプライアンス、という言葉は、官製不況という言葉もある通り、必死になって守っている法令そのものが、果たして守るべき価値のあるものなのか、という観点で、なんだか怪しい言葉に変貌しつつある。それこそ、家族に、「コンプライアンス遵守のためにこんな仕事をやってるんだよ」というと、「馬鹿じゃないの」とあきれられるような法令がないとはいえない気がします。

一方で、法律的には何の問題もなくても、社会的に見てあまり胸の張れない仕事ってのもある。消費者金融とか、たばこ会社とか、公営ギャンブルの運営会社とか、結構微妙な職場だよね。そういう職場に勤めている人っていうのは、なんらかの自己正当化のロジックを確立しながら、日々業務に励んでらっしゃるんだと思うんですが、だんだん、我が社が扱っている携帯電話ビジネスというのも、そういう後ろめたいビジネスに変貌していっているような気がして、ちょいとブルー。

もちろん、どんなビジネスにも表と裏があるんですけどね。花形産業である自動車産業排気ガスで空気を汚し、交通事故を引き起こす元凶を生み出している。冷蔵庫やクーラーだって地球温暖化に一役買ってるだろう、とか、TVはくだらない番組ばっかり流して国民を総白痴にするツールだ、とか、色々言えば言えないことはない。

要するに、世の中がこれだけ便利になってしまうと、大抵の消費財は、「あったら便利だけどなくてもいいもの」に堕してしまっている。それどころか、その大量生産大量消費のシステム自体のもつ生態系への悪影響や、便利さの裏で失われる古きよきコミュニケーションの温かさ、といったマイナス面の方がクローズアップされてくる。そういうマイナス面ばっかりに注目していけば、「企業が提供しているサービスで、世の中を悪くしていないサービスなんかない」という状況になってしまう。そういう粗捜しの結果として、どの仕事も、無条件に「胸を張って、僕の仕事はこういう仕事だよ、と家族に話せる仕事」ではなくなってしまうんだね。

だからといってルソーみたいに「自然に帰れ」なんて言い出す気はなくって、大量消費時代の消費者としては、便利さの裏側にあるマイナス面を常に意識する賢い消費者を目指さないといけない。その一方で、大量生産を担っている企業で働いている労働者としては、企業が提供するサービスのマイナス面をあげつらう声にも揺るがないモチベーションの維持、というのが大きなテーマになってくる。単純に「収入」だけをモチベーションにしてもいいんだけど、もう少し何かしら別の動機を持っていないと、家族に「僕の会社はxxだよ」と胸を張っていえなくなってしまう。サラリーマンが陥りやすい精神的危機・・・「ここではないどこか」を求める気持ちって言うのは、そういうモチベーションの不在が根底にはあるんだろうな、と思います。お父さんは頑張って働くぞ。