マニュアルの怖さ

ちょっと今日は珍しく、ビジネスがらみの話を。先日、会社の上司と話していて、私がいつものように、「米国人ってのはほんとにトラブルが多くて困る」とぶつぶつ文句を言っていたら、彼が、「米国企業ほど優れたシステムを持っている企業はない」と反論してきました。この議論がなかなか面白かった。

彼に言わせると、米国企業というのは、非常に優れた経営陣が、ありとあらゆる状況を想定した分厚い完璧なマニュアルを整備する。現場は、そのマニュアル通りに完璧に動く。つまり、システム的に完全なトップダウン型になっている。マニュアルに定められた動きができない現場の人は即、クビになるか、あるいは、その人の直属の上司が飛んできて、マニュアルを確実に守らせる。この「マニュアルに対する忠誠心の高さはすごい」し、だからこそ、経営陣の意志が末端まで完全に行きわたり、作業ミスやトラブルを防ぐシステムが出来あがっているのだ、というのが彼の意見。「彼らがトラブルを起こすなんて、考えられないけどなぁ」

これに比べて、日本企業においては、「部下は上司の言うことを聞かないのが当たり前」。上司よりも現場の部下の方がよっぽど作業内容をよく知っている、あるいは「知っていると思い込んでいる」ので、上司の話は「ご意見」として伺いながら、現場の部下はうまく立ち回って成果を出す。いかに上司の言うことを鵜呑みにせずに、自分の判断でうまく立ち回れるか、というのが、日本の企業人の行動規範だったりする。

「こういう日本企業的な文化の中では、トップの意思が末端までなかなか反映しない。だから、コンプライアンス違反だの、マニュアルに外れたトラブルだのが多発するんだ」というのが、上司の意見。

その場では、私からちゃんとした反論ができなくて、ちょっと悔しい思いをしたのですが、完璧なマニュアル、というのは、確かに米国企業の素晴らしい強みであると同時に、最大の弱点だと思います。一つには、現場の思考能力がゼロになってしまう、ということ。マニュアルから離れた特別対応なんかもってのほかだし、自分の与えられたマニュアルに記載されていない業務は、「自分の仕事じゃない」ということで思考停止に陥ってしまう。

もう一つは、マニュアルに記載されていない特別なサービスというのを排除してしまうことで、かえってお客様の満足度が下がってしまう、ということ。日本のお客様、というのは、世界一高水準のサービスを享受している、世界一要求水準の高いお客様です。そういうお客様の心をつかむのは、「マニュアル化された正確な対応」ではなくて、逆に、「自分だけを特別扱いしてくれる特別対応」だったりする。そのあたりが、どうしても米国企業には理解できない。結果、日本のお客様の要望が理解できないまま、硬直的な対応に終始して、これがトラブルにつながってしまう。そのあたりが、私の主張する「米国企業はトラブルが多い」という論拠だったんですね。

トヨタがあれだけ強いのは、マニュアルが優れているのではなくて、現場が常に考え続けているからだ、ということはよく言われることですよね。常に「カイゼン」していく試みを永続的に続けていること。従い、マニュアルは上層部から与えられるものではなくて、現場が常に「カイゼン」していく、動的なものになっている。そこが米国企業にはない強み。

もちろん、トヨタのような「カイゼン」活動がうまく動いていればいいんですが、私の上司が指摘していた日本企業の問題点というのは、「マニュアルを軽視することによって発生する各種のトラブル」が絶えない、という点です。これはこれで否定できないところがある。まだ記憶に生々しい東海村のJCOの臨界事故なんか、まさに「現場だけに通用する裏マニュアル」が堂々とまかり通っていた結果の惨事でしたし、他にも、「マニュアルに書いてあるみたいな建前守ってたら、商売あがったりだよ」という「本音」の元で、いろんな事故やトラブルが起こっているのが、日本企業の怖さだと思います。最近話題の耐震偽装問題だって、建前を本音が凌駕してしまったいい例だもんねぇ。

マニュアルってのは、当然尊重しなければいけないものなんだけど、決して静的なものではなくて、常に見直し、さらに改善していくことができないか、現場自身によって検討され続けなければならないもの。それにこだわるのも愚かだし、それを軽視するのも愚か。ううむ、すごくビジネス本的な文章になってしまった。僕はビジネスマンだからね。年中歌やら芝居ばっかりやってるわけじゃないのよ。うん。