たまには真面目に時事問題

たまには真面目な時事問題について語ったりします。「イクメン」とやらのこと。

ちょっと前に、島耕作シリーズの弘兼憲史さんが「イクメンは出世しない」と発言して炎上した、という話題があったみたいですね。それに呼応して、弘兼さんと「イクメン社長」で有名な方の対談が企画されたのをネットで読んだりしたのだけど、どうも違和感が消えない。弘兼さんは、「重要案件の会議がある日に、部下が、その日は子供の運動会なので会議欠席します、と言ったら、その部下は仕事から外しますね」と言った、というので非難されてるらしいんだけど、じゃあ、その部下に合わせて会議の日程を変える、なんてことはあり得ないよなぁ。仕事外す以外にどんな選択肢があるっていうんだ?

私の職場が関係している通信ネットワークは、当然24時間稼働、トラブルはいつ起こってもおかしくありません。一旦トラブルが発生すれば、深夜だろうが土日だろうが、自宅で寝ていようが家族と旅行中だろうが、マネージャの携帯は鳴り、事態が深刻なら社長まで非常招集がかかります。子供の運動会の最中だから、といってトラブルに即レスできない人は「そういう仕事から外す」しかない。育児に時間を割きたいと言ってきた人には、育児と両立できる仕事や役職についてもらうしかない。「仕事から外す」というのはそういう配慮を意味しているのであって、逆に言えば、二十四時間戦える環境にいなければならないビジネスマンは、育児にかける時間が犠牲になるリスクへの備えを持っていないといけない。組織の上長の方々というのは、まさに二十四時間戦えないといけないわけで、「出世する」=育児の時間をある程度犠牲にする、というのは避けられないこと。

イクメン社長、なんていわれる存在は、育児中でもこなせる一部の業態に限られた特殊なケースであって、それをもてはやすマスゴミの論調に安易な夢を見ちゃいけない。大多数の人たちに突きつけられるのは、「仕事中の育児をどうするか」という大きな課題。日本の問題は、その課題解決において、育児そのものを女性に丸投げする以外の選択肢が少なすぎる、という点にある、というのはある程度まで真理。とはいえ、欧米で数多く用意されているその他の選択肢が理想的なのか、というとそうでもなかったりするんじゃないかな、と思う。実際、米国では、会社の経営層にいる人たちが、まさに二十四時間会社に人生捧げていて、そういう人たちの子供の育児がヒスパニック系のシッターさんたちに丸投げされ、子供たちが英語よりもスペイン語が上達してしまう、という笑えない話を聞いた記憶がある。

会社組織に限らず、行政組織や他の組織でもそうだと思いますが、組織の長、と言われる人、出世する人、というのは、二十四時間組織のことばかり考えているし、仕事が好きで組織に人生捧げているから出世するんですよね。そりゃ例外もあるけどさ。しかも現在のようにビジネスがグローバル化し、まさに二十四時間休みなしにモノカネヒトが動いている時代になれば、トップの立つ人が育児に時間を割くのはどんどん難しくなる。

そもそも産業革命によって、巨大な機械が24時間休みなしに稼働した瞬間から、資本主義社会というのは生物としての人間の生理ではなく、24時間稼働できる機械の性能を前提に成長を遂げてきた。これがさらにグローバル化することによって、ますます人間の生理とは外れた時間と空間で動くようになっている。それを動かす立場の人たちは、極端なことを言えば、生物としての人間であることを捨てないといけないんだと思う。高度に近代化された都市に住む人の出生率が下がるのは、産業革命による都市化が進展した19世紀から言われていたことで、都市自体が、生物としての人間の生理を破壊する性質を持っている。人間の生殖能力の最盛期がそのまま働き盛りの世代と重なっているのも厄介で、一番二十四時間働いてほしい世代が、一番子育てに時間を割きたい世代だったりするんだよね。

じゃあやっぱりイクメンは出世できないのかよ、と言われると、それこそ産業革命に匹敵するような、かなり大きな社会改革が必要なんじゃないかな〜、という気がする。今の格差社会の議論の行きつく先の未来を想像してみると、会社人間になることを選んで生物としての人間であることを捨てて富の集積を実現する人たちと、生物としての人間であることを選んで子だくさんの中で貧困にあえぐ人たち、という超格差社会が見えてきたりして。かつて資本論が描き出した、資本家が労働者を搾取する階級闘争のもっと極端な姿。労働力を供給する「生殖担当階級」と、そこから労働力を搾取する「生産担当階級」の間の階級闘争。実は高度成長期の東京と地方の関係っていうのは、こういう階級闘争の嚆矢として語ることができるのかもしれないけど。

そんなディストピアを語るんじゃなくて、解決策、理想を語ろうよ、と言われてもなかなか答えはないんですけど、例えば一つの在り方として、子育てを卒業したシニア層にもっと踏ん張って頑張ってもらって、逆に、今まで「働き盛り」と言われていた世代を、生殖行為に専念する世代、として生産活動から隔離する、ないし、育児と並行できる仕事に従事してもらう、とか、どうだろう。一律そういう制度にするのは無茶としても、一度育児で会社の規定路線から離れてしまった人たちに対して、敗者復活ルートが存在していない現状をまずなんとかできないか。「イクメン」=出世街道を進むことを捨てた人種、というレッテルを貼られて、二度とマネジメントレベルに戻ることができなくなる、という状況、あるいはそういう状況になるのでは、という先入観や強迫観念ってあると思うし、冒頭の弘兼氏の発言は、そういう状況、先入観、ないし強迫観念のツボにはまったのかもしれない。彼の発言を理想的に変換するなら、「イクメンは大変な仕事から外します。でも、育児がひと段落して戻ってきたら、ちゃんと出世できるように復活ルートが整備してありますよ」というのが当たり前になっているといいのかなぁ、なんて思います。