「書きたい」虫

最近日記の更新をサボっているのですけど、ではアウトプットをサボっているか、というとそういうわけでもないんです。実を言うと、最近ちょっと思いついたお話があって、それをぼちぼち書き進めているんです。神戸を舞台にした、ソプラノ歌手の娘と息子の姉弟のお話で、思いがけなく長編になりそう。書きあがったからといって、本にする予定もなければ、発表する場所もないんだけどね。

文章を書くのが好き、というのは、多分文学少女だった母親の遺伝で、それが高じて私の兄は職業小説家になってしまいました。私も学生時代はボチボチと小説なんか書いたりしていて、社会人になってからもいくつかお話を書いたりしていたけど、ある時からばったり書けなくなってしまった。時々、娘向けのPillow Storyがおもいがけずまとまったお話になったりすると、この日記に載せたりしてますが。

それでも、自分の中で、きっかけを与えられると、むくむくと、「書きたい」虫がうずきだすことがある。この日記そのものが、自分の「書きたい」虫が書かせているようなところがあって、逆に言うと、別の所で文章を書いていて、「書きたい」虫が満足してしまうと、日記の更新が滞る。分かりやすいでしょ?

このきっかけ、というのは、そんなにしょっちゅう降ってくるものじゃなくて、ある日突然降ってくる。そういう意味で言うと、私の兄のような職業小説家というのは、コンスタントに書く材料がある人にしかなれない職業なんだろうなぁ、と思います。私のようなのは趣味の域を出ない。

時々そうやって、うわっときっかけが襲い掛かってきて、どどどっと文章を書きまくる時がある。きっかけは自分の中から湧き上がってくることもあるけど、外からやってくることも多い。自分の中から湧き上がってきた物語をひたすら舞台台本にしていた時期もあって、ガレリア座で上演したオリジナル・ガラ・オペレッタの台本なんかは、大抵、そういう自分の中の「書きたい虫」がうずいた結果生まれてきました。まだ上演できていないオリジナル台本が1本あるんだよなぁ。昭和初期の日本を舞台にした、「レイダース」みたいなオリジナル冒険活劇大恋愛オペレッタ。誰か上演してくれる人はいないかねぇ。

自分にとって大きな衝撃を与えた事件が起こったりすると、むくむくと「書きたい虫」が湧いてくることもある。神戸の震災の記憶が書かせたのが、「王子メトゥザレム」のオリジナル台本。天使になったFちゃんのお話も、外からやってきたきっかけが書かせたお話。

でも、自分が書くことがすきなんだなぁ、と一番実感するのは、合唱団のためにナレーション原稿を書く時だったりする。先日、辻志郎先生に依頼されて書いた「愛は波の彼方に」のナレーション原稿とかもすごく楽しんで書いたし、同じ辻志郎先生に依頼されて、大久保混声合唱団で演奏した、山本純之介「蕃熟の大地」のナレーション原稿を書いたのも、結構楽しかった。100%自分の文章、というより、ある程度材料があって、それをつなぎ合わせていくMC原稿みたいなのが一番楽しいかもしれない。

なんでこんなことを書いているか、というと、明日開催される大久保混声合唱団の演奏会をお手伝いしている中で、急遽、荻久保和明「あやとりの記」の演奏前ナレーション原稿を書くことになって、これがまた結構楽しかったから。練習にお邪魔して、大久保混声の歌声を聞き、その後、田中豊輝先生や、団員さんのこの曲に対する感想を聞く。団員の方がプログラムに寄せた文章や、石牟礼道子の詩の一節などを組み合わせて、一つ文章を書き上げる。自分なりに結構いい出来に仕上がった気がするのだけど、実質作業時間は約30分。こういう文章書きまくって稼ぐ仕事って、世の中にありませんかねぇ。割とクオリティの高い文章でっち上げる(いやいや)自信あるんだけど。