「主権在民」

私の職場に新入社員が配属されてきて、OJTの前の業務レクチャーなどをやっておりました。わが社はIT企業なので、「通信主権」という話が出てきます。その国の通信事業は、その国の主権者が提供形態を決める必要がある、という話です。例えば、日本の通信サービスを全て外国の通信会社が提供していたら、「文句言うなら電話使わせないぞ」なんて言われちゃう、という話。で、「主権」と言う言葉を説明しようとして、

「『主権在民』っていうだろ?」

と言ったら、「なんすかそれ?」と。

国民主権、と言う言葉なら知ってますけど、主権在民、というのは初めて聞きました」だって。「ゆとり教育の前の世代なんですけどねぇ」と彼は笑って言っているのだけど、ありゃりゃあ、と思い、もう少し世代の上(20代後半)の派遣社員の方々にも、同じ質問を投げてみました。「主権在民って知ってる?」と。そしたら全員が首を横に振る。かなりショックである。

明治時代、様々な西洋の概念が入り込んできた時に、当時の日本人はこれをどうやって翻訳しようか、相当頭を悩ませた。私の兄は、福澤諭吉と川本幸民(幕末・明治初期の蘭学者で、「化学」と言う言葉を作った人)の評伝を書いているのだけど、その本の中でも、様々な新しい言葉を作り上げることによって、西洋思想の輸入に努めた彼らの苦労が描かれています。「主権在民」なんて言葉も、そういう時代の苦労が現れた言葉だと思うし、「国民主権」と言う言葉に取って代えていい言葉なのかなぁ。もっと強い意志と思想を持った言葉だと思うのだけど・・・

明治の人々は、そういう造語を作り出す上で、非常に豊かな「漢字に対するイマジネーション」を持っていたと思います。「自由」と言う言葉しかり。「物理」という言葉しかり。様々な西洋の概念を輸入するにあたって、極めて豊かな多義性を持った「漢字」という言葉をあてはめていく。漢字の持つ多義性やイマジネーションを十分に理解した上で、同様に多義的な西洋の概念を包括的に表現できる言葉を捜していく作業。明治の知識人には、確かにそれができるだけの漢文に対する素養があった。

それは、以前この日記にも書いたように、江戸時代から明治初期まで、政府の公文書が漢文で書かれていたことと無縁ではないと思う。要するに、江戸時代まで、日本の知識人は全てバイリンガルだったわけで、そういう彼ら自身が持っていた教養の広さが、西洋の新しい知識や概念を吸収する素地になったのは確かなことじゃないかな。

そう考えた時、「主権在民ってなんすか?」と問いかけてくる若者が、いかに「漢字」というものに対するイマジネーションに欠けているか、という点で、なんとも薄ら寒い気分になる。別に、「国民主権」という言葉しか習ってなくてもいいんだけどさ。「主権在民」と言う言葉を聞いて、それを漢文読みで、「主権は民に在り」と言う一種の宣言文として読めるかどうか、という感覚の問題のような気がするんだよね。

日本人の各種の感性が、ひらがなカタカナという表音文字と、漢字という表意文字の両方を混合して使っていることに大きく依存していることは、色んな局面で言われること。その基本は変わってはいないのだろうけど、文字や言葉を表層的にしか学ばない、教えない教育が続いていくと、新しい概念や思想に対する柔軟性までも失われていくんじゃないかしら、なんて、多少飛躍した感想を感じたりしました。オヤジくさ。