「キスカ撤退の指揮官」〜全ては今を生きる人のために〜

人の死、ということをどう受け止めるか、というのは、残された生きている人たちの課題であって、死者は決して戻ってこないし、死後の魂について語ることは、死んだことのない人間には無理なこと。人の死を無駄にしない、という言葉も、生きている人たちの思い次第でどうとでも変わってしまうから怖い。

いきなり何を書き出すの、と思われるかもしれませんが、実は、今読んでいるのが、「キスカ撤退の指揮官」(将口 泰浩 著)という本なんです。先日、上京してきた女房の両親と一緒に、靖国神社遊就館に行った時、明治以降の日本が体験した各種の戦争(西南戦争を含む)の展示の中で、一番印象に残ったのが、太平洋戦争におけるキスカ島からの撤退作戦だったんですね。とにかく前に進むことしか考えず、次々に死者の山を築いていったこの戦争の歴史の中で、米軍が包囲する島に孤立した5200人の兵士を、一人の犠牲者も出さずに撤収した作戦があった、という史実に、少なからず驚いた。

キスカ」という名前自体は知っていて、円谷英二が特撮を担当し、三船敏郎が主演した、「太平洋奇跡の作戦キスカ」という映画の名前を知っていた。恥ずかしながら、映画自体は見ておらず、さらに恥ずかしながら、キスカ撤退作戦自体も知らず、今回の靖国訪問で初めて知った。で、遊就館ミュージアムショップを見ていたら、陸上自衛隊印のパンの缶詰とか、小林よしのり靖国論とかが並んでいる中に、この本があり、思わず買ってしまったのです。

キスカ撤退作戦を指揮した木村昌福少将の生涯を丁寧に追いかけた本で、この人物の魅力を十二分に伝える本です。多少美化しすぎか、という気もしますが、春風駘蕩といった感のある大人物ぶり、わずかな可能性の中でも最大限の成果を得るために、ひたすら好機を待ち続ける沈着冷静さ、機が至ると機敏に、その時その時において最善の判断を下して迷わないリーダーシップ、どれをとっても素晴らしい理想的な指揮官。その木村少将が、海軍兵学校の卒業成績は下から数えた方が早かった劣等生だった、というのがまたかっこいいじゃない。

まだ読了していないのだけど、この本の中に、キスカ島に隣接するアッツ島が、米軍の上陸によって全滅する場面があります。参謀本部に見捨てられ、全員死ねと命じられ、自分のヘルメットに手榴弾を叩きつけながら敵軍に飛び込んでいく日本兵たち。米軍はこの捨て身の攻撃に手を焼く。生きて俘囚の辱しめを受けず、というくだらないお題目のために、約2600名の守備隊はほぼ全滅、捕虜になったのは攻撃中に失神するなどした27名のみ。生存率は1%に過ぎなかった。

このアッツ島の兵士の死は、生き残った人々によって様々に解釈・利用されていきます。本の中でも紹介されているのですが、まず日本軍は、この悲惨な戦いを少しでも美化するために、「玉砕」と言う言葉を初めて使います。美しく飾ったとしても死は死に変わらないのに、この「玉砕」と言う言葉が生み出した幻の下で、この後、何万という兵士が死んでいくことになる。愚かな指導者のために死地に向かわねばならなかった人々の死を、さらに多くの死で飾ろうとする愚。

そして一方、この「バンザイ突撃」に戦慄した米軍でも、この戦いは日本人という民族への恐怖感を植えつけることになる。最後の一人まで戦い抜く、という日本人の戦意を喪失させるためには、本土を焦土と化すしかない、という米軍の決断の大本に、このアッツ島で味わった恐怖感があった、というのは言いすぎかもしれないけど、一つの真実かも、と思います。そう考えると、この北海の孤島は、後の原爆投下や大都市への大空襲に続く一里塚とも言えるかもしれない。

結局、この2600名の死は、責任を取らない日本軍によってさらに大量の死を生み、必要以上の恐怖感に理性を失った米軍によってさらにさらに大量の死を生んだ。その結果を、アッツ島の英霊たちが喜んだとは思えない。2600名の死を無駄にしない、と言うのは簡単なのだけど、そういう美しい言葉は簡単に、死の原因をきちんと分析する冷静さを捨て、新たな大量の死で過去の死を覆い尽くすことで、死の原因=責任を覆い隠そうとする、生者のエゴイズムにつながる。恐怖感の増幅による果てしない報復合戦と、それを正当化するグロテスクな「正義」につながる。本当に「無駄にならない死」というのは、生きている人の命と幸福を守る行為につなげていかねばならないはずなのに。

キスカ島から死線を越えて帰還した兵士たちは、「自分たちが生還できたのは、アッツ島の英霊たちが自分たちを守ってくれたからだ」と言ったそうです。多分、アッツの2600名の兵士の死をもっとも無駄にせず、自分たちの生につなげたのは、このキスカの兵士たちだったんじゃないかな、と思う。死者を生かすも殺すも、生きている人間の思い次第なんだなぁ。