「おとうさん」「おかあさん」

最近TVを見ていて、どうも違和感があるのが、若い俳優さんたちが、自分の親のことを、「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶこと。なんだかすっかり定着している感じがあって、なんとなく不愉快なのですが、そう思うこと自体、ジジ臭いですかねぇ。

他人に対して自分の家族を話題にするときには、「父」「母」「兄」「弟」「姉」「妹」と呼ぶのが常識であろうがよ。TVの中だけの話じゃなくって、職場にいる、割としつけがきちんとしている派遣社員のお嬢さんとかが、にこにこしながら、「うちのお父さんは・・・」と言ってくる。これがおじさんにはどうもむずがゆい感じがする。なんとなく、自分の家庭の中を無防備にあけっぴろげて見せられているような感覚があるんだなぁ。

なんでだろ、と考えてみると、「父」「母」という言葉の持っている、漢語的なイメージによるところが大きい気がするんです。実際には、「チチ」「ハハ」というのも和語で、そう考えると、「お父さん」「お母さん」という言葉は、「チチ」「ハハ」という言葉の幼児語と言ってもいいのかも。その幼児性が、前述の違和感を生じている、という側面もあると思うのだけど、「おとうさん」「おかあさん」と全部ひらがなで記述できる言葉と違って、「ちち」「はは」は、「父」「母」としか書けない気がする。それだけ、漢語に近い印象があって、それが、きちんとした外向けの言葉、という印象を強めている気がするんですね。

「漢語」っていうのはそもそもが、日本語の中において、外向きの言葉。昔大学でとった日本史の講義で、日本においては、古代日本の時代から、「和語」の文化と「漢語」の文化が並行して存在していたんだよ、ということを習ったことがあります。和語で書かれた「古事記」に対応する、漢文で書かれた「日本書紀」、というのが一つの象徴的な表裏を成しているのだけど、和語で展開される物語文学の脇で、漢語で展開される記録文学が存在しており、この「二重言語体系」の構造は、江戸時代から明治初期まで綿々と続いてきた。今でも公式文書に頻発する謎の熟語たちは、その構造を引きずっていると言える。

この「二重言語体系」というのは、古代から江戸にかけての日本人が、自分が日常的に使っている「日本語」という言語を、中国を中心とする東アジア文化圏の中のローカル言語として位置づけていたことを示している気がします。日本語を、日本人以外にも通用する世界言語として認識していない。記録のための公用言語として、ふさわしい言語として捉えていない。自分たちを記録する際の公用言語は、世界言語である漢語を使うべきである。そういう言語感覚を持っていたかつての日本人は、アジア的な広い視野の中で、自分たち日本人を捉えることができていたんじゃないかなぁ。

二重言語体系は、日本語の中の和語を、公式の記録手段としてよりも、詩歌や文芸といった芸術表現の手段として洗練させることになる。公式の記録は漢文で記述され、日本語で記述されるのは、感情や心情の揺れ動き、美の表現に特化していく。その結果として、日本語は、論理性よりも感受性が尊ばれる言語体系を身につけてしまった。以前、この日記で紹介した、谷川俊太郎さんのお言葉がありましたっけ。「日本語というのは詩にむいている言語だが、論理的記述にはむいていない言語である」。

世界的にも、対外的にも通用する記録手段としての漢文を捨て、日本人にしか通用しない内向きの感受性を強要する日本語に特化した時点から、日本人というのは世界の中で孤立する運命だったのかもしれない。優れた日本語の書き手だった志賀直哉が、「日本語を捨ててフランス語を公用語にしよう」と提唱したのは有名な話で、今となっては「なんて自己卑下した主張だ」と非難されることの方が多いエピソードですけど、志賀直哉さんの真意はむしろ、「記録手段としての言語」をきちんと持つことの必要性を説いたものだったのかもしれないよね。

他者に対して、自分の家族を、「父」「母」と客観的に語ることができない若者たちに、なんとなく、内向きの、内輪の論理だけで完結しようとする「引きこもり」傾向を見てしまうのは、私だけかしら。鎖国、とかいって海外の文化の流入を遮断していた昔の方が、日本人は、世界的な視野を持つことが出来ていたのかもしれないよねぇ。