「飛燕」という戦闘機のこと

週末世間を騒がせた調布の不発弾処理、さすが日本の自衛隊は優秀で、予定されていた15時を3時間以上繰り上げて、午前中のうちに処理を終了しちゃいました。ちなみにこの不発弾、我々夫婦が新婚時代に住んでいたマンションから50メートルと離れていない所に埋まっていたそうで、あのままあのマンションに住んでいたらモロ避難対象だったね。爆発しないで本当によかった。「オレ、新婚時代、不発弾のすぐ近くに住んでたんだぜー」と、会社の派遣さんに話したら、醒めた顔で、「武勇伝ですね」とのコメント。派遣さんに軽くあしらわれるオジサン管理者。サラリーマンNeoによく出てくる類型だぜ。へへん。へへんってなんだ。

半径500メートル以内の住民を全て避難させ、立入も禁止するってのは、なんだかかなり乱暴な気はしたけどね。別に避難しなくて不発弾が爆発して死んじゃったって、それはその人が自分で選んだリスクでしょう。自衛隊を信じて残る人、別に信じちゃいないけど、「死んでもいいや」と残る人、「死にゃしないだろ」と残る人、それぞれが自分でそのリスクを判断すればいい。結果として死んだってその人の責任。「避難しろ、と言われて避難しないで、結果として死んじゃったけど、それは強制的に避難させてくれなかった行政の責任」なんて言うバカは普通いない。普通じゃないくらい頭の悪いこの国のマスコミだけが、そういうことを言う。マスコミが言うから、行政も必死になって全員に避難を強制する。そのコストは税金でまかなわれるんだけど、税金は減らせとマスコミがまたわめく。一体どうしろって言うんだか。

・・・なんて社会批判を展開する気は全然なくって、今回の不発弾の話で一部のマスコミにも取り上げられた、「飛燕」という戦闘機の話を少し。

「飛燕」について熱く語るほど戦闘機マニアではないのですが、何となく、「飛燕」というと湧いてくるイメージがあります。公式名は三式戦闘機(紀元2603年(1943年)に採用されたためにこの名前がついた)。飛燕というのは愛称。設計者は、後にYS11のエンジンも設計した土井武夫。以上は全て、Wikipediaからの丸写し。そういう知識は一切持っていなくって、それでも「飛燕」というと、戦争末期の日本の空を必死に守っていた悲劇の戦闘機、というイメージが湧いてくる。なんでかな、といえば、高校生時代に読んだ、松本零士の戦記マンガの印象が強烈だったからなんですね。その中に、タイトルは忘れてしまったのだけど、「飛燕」を取り上げた忘れがたい短編がありました。

東京大空襲で首都圏が火の海になった時、B29に撃墜された飛燕が、民家の上に墜落する。家族を一瞬にして失ったその民家の主は、「敵の飛行機にやられるならともかく、味方の戦闘機に家族を殺された」と、弔問に訪れた兵士をなじる。兵士は、民家に墜落した飛燕のパイロットの弟だった。彼は再び来襲したB29に、飛燕を駆って体当たりし、そのまま東京湾に落ちていく。「おじさん、僕は家の上には墜ちないよ」と呟きながら・・・

Wikipediaによれば、飛燕が首都防空の主力機となったのは、当時の日本軍にあって、B29の飛行高度に到達することができる上昇能力を持った戦闘機が、飛燕だけだった、ということのようです。それも、「武装の全部(もしくは一部)と装甲板を取り外して軽量化する事」が前提だったというから、既にかなりのハンデを負った状態。武装を取り外しているので、主たる攻撃方法は、体当たりしかない。実際、調布飛行場に配備された飛行第244戦隊は、飛燕による体当たり攻撃を中心にかなりの戦果を上げた。今回発見された不発弾も、飛燕による体当たり攻撃により撃墜され、国領近辺に墜落したB29に搭載されていたものだそうです。

いわゆる「特攻」とは異なり、パイロットにはパラシュート脱出が求められていたそうですし、事実、今回の不発弾を搭載していたB29を撃墜した飛燕のパイロットは、体当たり攻撃後にパラシュートで降下、生還しています。しかし、捨て身の攻撃であることに変わりはないし、生還できなかった兵士も数多かったはず。東京大空襲ヒロシマナガサキの悲劇で、悪役としての印象が強いB29に、小さな戦闘機が捨て身でぶつかっていく・・・しかも、その戦闘機が、「飛燕」という、実に可憐で詩的な名前を持っている、という所が、さらにこの戦闘機の悲劇性を強調する。

戦争、という事象をことさら美化する話を警戒する向きもあるとは思うし、ことさら日本人の自己犠牲を強調するつもりもありません。飛燕の体当たり攻撃によって空に散ったのは、飛燕のパイロットだけではなく、遠く米国に家族を残して飛来したB29の搭乗員たちも同様だったはず。今回の不発弾騒動で、太平洋戦争で空に消えた沢山の命と、その命にたいする感謝の気持ちを、きちんと思い出してあげられたらいいね。もちろん、命がけで不発弾を処理した自衛隊の人たちへの感謝の気持ちもね。

調布飛行場の周りには、飛燕の機体を爆撃から守るために作られた、飛行機のための防空壕である「掩体壕(えんたいごう)」という施設が、まだいくつか残っています。今度、娘と飛行場の近くに遊びに行った時、この掩体壕を見る目が少しでも変わるように、「飛燕」を巡る物語を伝えてあげられたら、と思います。