那覇市内街歩き

仕事で那覇に出張。会合の合間の空き時間で、出張先でよくやるぶらぶら街歩き。那覇の街っていうのは、日本の地方都市の居心地の良さとエキゾチシズムが共存していて、ぶらぶら歩きが本当に楽しい街です。


会合場所の近くの泊港。港を横切る橋や、空港と那覇市内を結ぶトンネル道路なども整備されて、随分雰囲気が変わったそうです。

以前に来た時も思ったのだけど、建物の作りが南国っぽいとはいえ、街の構造自体は日本の地方都市とそんなに変わらない。でも、ああ、やっぱり沖縄だぁ、と思うのは植物。街路樹の種類が本土と違うし、成長の勢いというか、木が持っている生命力が違う気がする。時々ちょっと怖くなるくらい。


街の児童公園で見かけた、木に囲まれたジャングルジム。怖いおっさんに囲まれた小学生みたい。

ちょっとくたびれてきた昭和の建物が新陳代謝しないで残っているのも、地方都市っぽい。風雨にさらされて多少くたびれてこないと、建物って風景に溶け込んでいかないのに、大都会とかその衛星都市って、ちょっと建物が古くなるとすぐに壊して新しくしてしまう。そりゃ耐震性とか色々あると思いますけど、いつまでたっても建物が風景に馴染まない街って、どうなんでしょうね。壁に貼るポスターを次々に取り替えてるだけみたいな落ち着きのなさ。住んでる人からすると、そりゃ新しくて綺麗な方がいいに決まってるんだろうけどねぇ。


こういういい感じに昭和っぽくて南国っぽいくたびれた建物がいいんだなぁ。


ちょっと疲れた感じのビルにも必ずシーサがいます。

シーサは本当にどこにでもいて、立派なのからちっちゃなのからちょっとゆるキャラっぽいのから、本当に自由な感じ。


普通のおたくのガレージの入り口にもちっこいのが。


立派な新しいマンションの玄関にもでっかいのが。

泊港近くに、対馬丸記念館がある、というので、少し足を伸ばして行ってみました。


対馬丸記念館。実際の対馬丸に乗船するような感覚を味わえるように、と、建物の外に付けられた階段を上って、二階から入ります。

対馬丸記念館の裏手には、沖縄の総鎮守である波上宮があり、護国寺があり、戦没者だけでなく、殉職警察官の鎮魂碑など、種々の鎮魂碑がそこかしこに建てられています。この場所一帯が、海に面した崖の上からニライカナイを望む小高い丘になっていて、様々な鎮魂の思いを集めた聖地になっている感じがしました。


波上宮の海側に整備された波の上ビーチ。右上に見える屋根が、波上宮


神社を見たらお参りせねばならない、ということでおまいりしてきました。うーむ、エキゾチック。シンガポールとか香港の寺院とか、こんな感じだなぁ。


看板に書かれた沖縄ことばのルビに、郷土愛を感じます。

国際通りでお土産を選ぶのに、本市場通り、というアーケード街から、公設市場、という食材市場に潜り込みました。魚や肉などの食材の並ぶアジア色の濃い市場で、一階で選んだ食材を二階に持って行って料理してもらうことができる。公設市場、という言葉が独特だなぁ、と思ったら、米国統治下で生まれた市場なのでした。米国と那覇市が認めた、という意味で、公設、なんだね。


青いのは、イラブーチュ、という白身魚。ふんわりした食感で味もしっかりした美味しい魚です。床に落ちてるのは、元気の良すぎる生きた伊勢エビに押し出された魚。


豚の頭と豚の足。そのまんま。


国際通りを端まで歩くと、県庁がどどんと現れます。この島が日本にとってどんな重要な意味を持っているか、視覚的に訴えてくるような偉容。


県庁前からモノレールで那覇空港へ向かいます。


モノレールの切符にはQRコードが印刷されていて、改札機にはリーダーがあります。下車するときは回収箱に切符を投げ込む仕組み。


空港に近づくと、広大な陸上自衛隊の基地が現れます。過去活躍した戦闘機なども展示されている。

対馬丸記念館でも思ったけれど、戦後の日本という国の不幸は、世界でもっとも多くの日本人を殺戮した国の軍隊に守られ、彼らを一番の友人としなければならない、という矛盾を背負ってしまったことにあって、その矛盾の上に現在の繁栄があり、罪を憎んで人を憎まず、みたいな、憎しみを超えて許し合う日本人の(平和ボケと揶揄されるけれども)幸福な精神文化が育まれたことにある。沖縄はその矛盾をもっとも大きく背負っている場所の一つで、知事さんと安部さんがケンカしてますけど、なんとも難しい話だなぁ、と思います。確かに、調布飛行場を米軍に解放しろ、なんて言われたら、地元で反対運動が起きるだろうしねぇ。


泊港近くで見かけた建物。ここは兵隊さんの街なんだよな、と実感させられる。