花いちもんめ

子供の遊び歌、というのは色んなバージョンがあるとは知っていたのだけど、最近娘が歌っている「花いちもんめ」の歌が、私が子供の頃歌っていたものと全然違っていてびっくりする。私が子供の頃歌っていたのはすごくシンプルで、

「勝って嬉しい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、あの子が欲しい、この子が欲しい、あの子じゃ分からん、この子じゃ分からん、相談しよう、そうしよう」

というのだったのだけど、娘が学校で歌っているバージョンは、

「勝って嬉しい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、隣のおばさんちょっと来ておくれ、鬼が怖くて行かれない、御釜かぶってちょっと来ておくれ、御釜底抜け行かれない、御布団かぶってちょっと来ておくれ、御布団ぼろぼろ行かれない、あの子が欲しい、あの子じゃ分からん、この子が欲しい、この子じゃ分からん、相談しよう、そうしよう」

というバージョンで、女房もこれを聞いて驚愕していた。Wikipediaで花いちもんめを引くと、各地方での様々なバージョンが掲載されていて面白い。これらのバージョンが昔から言い継がれたものか、最近になって多様化してきたものかはよく分かりません。ただ、花いちもんめ、という歌自体が、そもそも貧しい村の子供が口減らしのために、人買いに「一匁」で買われていったことを嘆く歌、という起源を持っていることを考えると、このロングバージョンはかなりその起源に忠実なように思います。人買いに買われていくのを嘆いて隣人に助けを求めても、知らんふりをする隣人の薄情さみたいなものまで見えて、なんとも薄ら寒い感じがする。

こういう子供の遊び歌というのは考えると結構怖い背景がありそうな歌が多いですよね。「かごめかごめ」についても、Wikipediaでは多数の俗説を載せていて面白い。昔、糀場富美子さんの「夜噺」という合唱曲をやったことがあって、その中にあった手まり歌の数え歌が、まさに人買いの歌だった。「悪魔の手毬歌」なんかでもよく出てくる、庄屋の娘とか酒屋の娘とかを数え上げていく歌なんだけど、今年はどこの娘が買われていくのか、みたいな寒々しい感じのする歌。

「あんたがたどこさ」という歌も娘が好きで結構歌っているのだけど、これは幕末が始原だそうです。幕末に、薩長連合軍が川越の仙波山に進軍してきたときに、付近の子供が、「あんたがたどこから来た?」と尋ねたのが始まりだ、という説と、戊辰戦争の時の、熊本藩の兵士と子供の会話が元になっていて、「せんば」というのは熊本の「洗馬橋」が元である、という説がある。「せんば山」というのも、「えんま山」になっているバージョンや、「せんば川」になっているバージョンも。

もっと下らない子供歌で、私が子供の頃流行ったのが、レインボーマンの替え歌・・・というか、続き歌でした。「インドの山奥でんでんかたつむりんごの皮むいて・・・」という感じでどんどん続いていく。昔、ぴあの「はみだしゆうとぴあ」というコーナーがあって(ページの両脇の細い空欄に投稿される1行ギャグ)、そこで、レインボーマンの替え歌シリーズが多数紹介されたことがあったな。これもものすごく多様なバージョンがあってびっくりしたっけ。

面白いのは、娘が小学校で歌っている「花いちもんめ」が、Wikipediaで、「群馬バージョン」と紹介されているものに最も近いこと。東京バージョンでも、川崎バージョンでもない。多分、生徒の親御さんの出身地で歌われていたバージョンを子供が引き継いでいくうちに、「これが一番面白い」ということで生き残ったものでは、と想像。東京という場所は様々な地方から流れ込んだ各種文化の集積地なんだなぁ。

昔、娘がまだ幼稚園に上がる前、近所の公民館の子供サークルで、お母さん方がわらべ歌を教えあっていた時、イギリス人のお母さんが、「日本のわらべ歌は品がなくて困るよ!」と怒っていたそうです。何で怒っていたか、というと、「げんこつ山のたぬきさん」。「おっぱい飲んでねんねして」という歌詞が許せない、と怒っていたんだって。「おっぱい」なんていう単語を口にするのは下品です!とのこと。さすが、性に対する倫理感が極めて厳格な西欧人らしい反応。

ちなみに、「あんたがたどこさ」で、最後に「木の葉でちょいと隠す」のは何か、というのを私は大人になるまで全然知りませんでした。娘が、「決まってるじゃん、xxちだよ!」と教えてくれるまで知らなかった。イギリス人のお母さんが聞いたら卒倒しそうなオチだね。わらべ歌ってのは奥が深いやなぁ。