「北一輝論」〜読み手が物語を作る〜

北一輝、という人物には昔から興味がありました。苗字が私と一緒である、というそれだけの理由なんですけどね。二・二六事件の思想的な拠り所となった人物、という知識を得た後、片目の魔王と言われた数々のカリスマ的、宗教的、神秘的なエピソードを知って、さらに興味は深まる。「帝都物語」にも魔人として登場し、さらに興味は深まるのだけど、今ひとつ実態がよく見えない人物。

実際、大正期から昭和初期、という時代には、色々と奇怪な思想家や宗教が跋扈していて、私のようなオカルト趣味の人間からすると興味の尽きない時代。なのだけど、一つ一つの思想や人物の全体像がどうしてもよく見えない。北一輝、という人物も、興味深い人物ではあるのだけど、どういう人間なのか、今ひとつよく見えないところがある。

今回、松本清張の「北一輝論」を手にしたのは、兄の蔵書の本棚の中で見つけて、面白そうだと手に取った、という単なる偶然。読み進めると、とにかく清張さんがコテンパンに、徹底的に北一輝の著作をけなしまくっている。確かに、論理的矛盾やら歴史誤認やら強弁やらに満ちた、無茶苦茶な文章ばっかり書いていた人らしいんだけど、それにしてもほとんど重箱の隅まで徹底的につつきまくる勢いで、ボロクソにやっつけている。一応、「これは北の天才的な卓見である」と評価している部分も皆無ではないのだけど、北一輝の「国体論及び純正社会主義」と「日本改造法案大綱」という二つの著作をメッタ切りにし、結果として、カリスマ的なオーラをまとった北一輝という人物を地べたに引き摺り下ろす、というのが、この清張さんの本の主目的、という感じ。

上記の方向性に沿って、清張さんは、北一輝という人物像を以下のように規定しようとしていると思われます。すなわち、才気ばしった地方のブルジョワ子弟が若書きで書き上げた憂国論が、意外と認められたことに図に乗って、社会変革の夢を持って中国大陸に渡り、辛亥革命の現場を体感。しかしながらそれを実際の社会改革に結び付けていく才覚も政治力も人望もなく、政治家たちのスキャンダルや大企業にたかる「事件屋」として食いつなぐ。一介の事件屋から政界の黒幕になることを夢見、血気盛んな青年将校らに対する影響力を行使するが、彼らをコントロールするだけの人望は得られず、二・二六の暴走を食い止めることに失敗。青年将校への同情論が強い軍部の策謀により、「純粋無垢な将校たちを煽動した諸悪の根源」というレッテルをはられて、スケープゴート的に処刑される・・・

そういう北一輝の人物像、というのは、非常に説得力があるし、現実に即している感じがします。ただ、清張さんがある意味意図的に、北一輝の人物像をあえて貶めようとした意図も強いような気がして仕方ない。清張さんがこの本をまとめた1976年ごろ、というのは、以前から書いているように、高度成長の限界や矛盾が表面化し始めた時期で、戦後日本の自由化・民主化イデオロギーの限界がそろそろ見え始めた時期。そういう時期に清張さんがこの本を書いた、という時代背景も考慮した方がいい気がします。

あまり短絡的な議論をしない方がいいとは思うのだけど、戦後日本の自由化・民主化イデオロギーの矛盾が見え始めた時代に、反動的に戦前日本の極右思想に流れる思想的な潮流が若年層にあって、そういう潮流の中で、一種の「殉教者」として、北一輝のカリスマ性を高く評価する傾向があったのじゃないかな。清張さんのこの本というのは、そういう戦前の思想に立ち返ろうとする動きに対する警告書、として書かれたのかも、なんて気もしないでもない。76年当時の思想潮流について詳しく理解しているわけじゃないので、類推ですけどね。

清張さん自身も、自分が一種の色眼鏡を通じて北一輝を位置づけている、という意識があったのか、自分が描き出した北一輝の人物像がまさしく決定版である、とまで言い切らない。そういう清張さんのバランス感覚が現れているのが、本の巻末に置かれた、久野収との対談。久野さんは、北一輝の思想を、当時にあって極めて革新的なものだった、として、北の先進性や天才を認める立場の人。ここでも、清張さんがひたすらに北の議論の矛盾や誤認を「あげつらう」のに対し、久野さんは、「北が、明らかな強弁や矛盾を無理やり押し通していくのは、かれが『政論』を展開しているからであって、北自身、自分が強弁していることは自覚していたと思う」と言いきる。なんとなく、久野さんの言い分に軍配を上げたい気分も出てくるんだね。清張さんが言うように、矛盾や間違いだらけの主張を北一輝が展開していたとしても、彼の生きた時代が本当に論理的で正しい議論を展開できた時代だったのか、ということも、差し引いて考える必要がある気がする。

結果、この本を読んだ読後感として強烈に残ったのは、「読者が物語を作るのだ」ということでした。同じ北一輝の「日本改造法案大綱」であっても、清張さんが読めば、間違いだらけとパクリだらけの愚にもつかない文章になるし、久野さんが読めば、当時の矛盾に満ちた政体をどうやって変革すればいいか、という熟慮と現実への妥協の結果生まれた、考え抜かれた天才の文章、ということになる。

昔、浪人時代に教わった予備校の講師が強烈な共産思想家で、「マルクスの『共産党宣言』なんか、ものすごく多様な読み方が可能で、今でも読めば読むほど面白い」なんて言ってましたっけ。実際、長く読まれる「テキスト」というのは、矛盾や強弁や難解なレトリックをはらみながら、読み手によってその物語を変えていくものなのかもしれない。読み手側に必要とされることは、読み手自身が向き合っている現実と、テキストから得られるインスピレーションとの間で、読み手一人ひとりの独自の物語を紡いでいくことであって、全ての読み手に共通するテキスト、なんていうのは幻想に過ぎない。

そういう意味でこの「北一輝論」を眺めてみると、彼の議論を訓詁学的に分析していく手法は徹底的で、北一輝と言う人物の位置づけにも説得力があるのだけど、この時代において北一輝という人物が強烈に受け入れられたのは何故だったのか・・・言い換えれば、北一輝という胡散臭い男の議論を受け入れてしまったこの時代というのはどういう時代だったのか、という所の分析がどうも弱い気がしました。

胡散臭い人物なのに、青年将校を中心とするエリート層に強烈に受け入れられた人物・・・そう考えてきて、ふと、「それって、麻原彰晃じゃん」と思いつく。ひょっとすると、北一輝というのは、議論の論理的な正誤や倫理的な善悪を超えて、カリスマ的な存在を無条件に受け入れてしまう日本人の気質が産んだ、「日本的魔人」の系譜に組み込まれる人物なのかもしれない。そういう意味で、同じく「日本的魔人」の代表格である麻原彰晃は、北一輝のさらにカリカチュア的子孫、と位置づけられるのかもしれません。(そう思うと、隻眼である、というところまで似てるな・・・)

北一輝と言う人物から時代の変革への希望を読み取った当時の読み手たち、麻原彰晃という人物から最終戦争の幻想を読み取った1995年の読み手たち・・・「読み手が物語を作る」のであれば、その読み手側の精神の分析がきちんとなされなければ、物語は完結しないのかもしれませんね・・・