宮部みゆき「誰か」〜ハードボイルド・マイホームパパ〜

宮部みゆきさんには、勝負をかける作品と、ちょっと息を抜くために書いてらっしゃるような作品がある気がしています。「レベル7」「火車」「理由」「模倣犯」・・・一種、宮部さん自身が、ものすごく意欲的に新しい試みにチャレンジしていこうとした作品群があって、その一方で、「ステップ・ファーザー・ステップ」「淋しい狩人」のような、少し力の抜けた軽い作品群がある。個人的には、前者はかなり読み手にも緊張とプレッシャーがかかるので、ちょっと体力がある時に読もうかな、という気になる。(おかげで、「模倣犯」はまだ読んでない)なんとなく、「誰か」は、後者に当てはまるのかな、という気がして手に取ったのですけど、読みやすいエンターテイメントでありながら、なんだかとても切ない気分にさせてくれる佳品でした。やっぱり宮部作品にはハズレがないなぁ。

何と言っても秀逸なのが、解説にも書かれていたのだけど、宮部作品には珍しいハードボイルド型の、哀愁漂う探偵である、杉村三郎という人物の造型。割と普通のサラリーマンだった彼が選んだ伴侶が、今多コンツェルンという大企業の会長の愛娘だった、という設定のために、彼は周囲の全ての人々から浮き上がってしまう。勿論、そんな彼をきちんと一人の人間として受け止めてくれる人々も沢山いるのだけど、親族や、あるいは物語の中核にいる人々から投げつけられる毒を含んだ言葉の一つ一つが、彼の心をズタズタに引き裂く。

何気ない一言が心に突き刺さる様子は、物語のもう一つの道具立てである、「自転車による事故死」というアナロジーとも重なります。何気ない日常の道具である自転車=言葉が、人の命=心を決定的に傷つけてしまう・・・そんな彼がひたすらに自分自身の心の支えにしているのが、最愛の妻であり、一人娘である・・・という設定が、なんだか胸に響く。ラストシーンで、家族3人でカラオケボックスで歌って騒ぐ杉村家の姿が、じんわりと心にしみる。ハードボイルド探偵が心の傷を癒す場所が、愛してやまない自分の家族だ、というのが泣かせるじゃないか。

ミステリーとしては中途半端で、物足りない、という感想がネット上に多いようですけど、多分、この作品で宮部さんが描きたかったテーマは、謎解きやどんでん返し、というミステリーの面白さとは少しずれたところにあるんじゃないかと思う。親子、姉妹、夫婦、といった基本的な人間関係が、些細な毒や偶然によって、決定的に傷ついてしまう運命の残酷さ。そういう恐ろしく傷つきやすい脆い絆を、お互いがお互いを思いやりながら、慈しみ慈しみ守っていこうとする人間の健気さ。この作品のテーマは、多分そういうポイントにあって、宮部さんが、「理由」でも描こうとした、人間を救うことが出来るのは結局人間自身であって、その人間との絆を拒絶することは、人間が妖怪に変じてしまうことなんだ、というテーマにもつながる気がする。

同じ時期に読んだ、江國香織さんの「きらきらひかる」で、江國さんが、「人を好きになるということはとんでもない無謀な試みだと思うのに、どうしても人を好きにならずにいられない人間たちを、私はとても愛おしいと思う」といったような内容の文章を書かれていて、宮部さんの「誰か」のテーマも、多分そんな所にある気がする。「どうせ『逆玉の輿』を狙った打算の結婚でしょ!」と罵られ、そんな言葉に傷つきながら、実際の杉村家を包んでいるのは、本当にシンプルな家族の愛情と思いやり。心臓が弱く、妾腹の娘、という、そもそも傷つきやすい環境に育った奥さんと、その奥さんが命がけで産んだ幼い娘、という杉村家の造型がまた素敵で、そういう奥さんと自分の経済観念のギャップに戸惑いながら、そんな戸惑いをぐっと隠してさりげなく振舞う三郎さんが、実にしょぼくれた普通のサラリーマンなのに、本当に凛々しくカッコよく見えてくるから不思議だね。人を思いやる、という力の強さ。家族を守ろうとする男のタフさ。

個人的には、杉村家の家族構成が我が家とそっくりで、三郎さんのサラリーマン然とした感じも感情移入しやすく、そういう意味でも思いいれ深く読めました。シリーズ化されているらしいので、次回作も読まなければ。