「花筵」〜極限の中での喪失体験〜

あまり日記には書いていないのですが、相変わらず、山本周五郎作品は読み進めています。図書館で3冊本を借りるとき、その中の1冊は、山本周五郎の短編集であることがすごく多い。今回も例に漏れず、割とどうでもいいホラー短編集と、「ペリカン文書」のほかに、「ちいさこべ」という中短編集を借りてきました。先日、この本の冒頭に置かれた、「花筵」という中篇を読了。なんだか登場人物にやたらと感情移入してしまって、例によって、通勤電車の中で涙がぼろぼろ出てきてしまって困った。

以前、「柳橋物語」の感想を書いたときに、そのカタストロフシーンの描写には、山本周五郎自身が身をもって体験した、東京大空襲の記憶が反映しているに違いない、という感想を書いたことがありました。実際、この「ちいさこべ」の解説にも書かれていたのだけど、周五郎作品には、人の力ではどうにもならない巨大な天災によって、登場人物が翻弄されるシーンがよく出てくる。そしてその天災の描写が、恐ろしくリアルで、圧倒的な臨場感で読者に迫ってくる。この筆力はなんなのか、と思ったら、「ちいさこべ」の解説に、周五郎さんが実際に多くの天災を体験されているのだ、という記述があって、少し納得。4歳の時に親族を奪った山津波、小学校時代に経験した大洪水。20歳の時には関東大震災に遭遇し、そして東京大空襲・・・

この「花筵」でも、主人公のお市を大きな災厄が襲います。以下、ネタバレ記述があるのでご注意ください。

第一の災厄は、藩内の政争のために、夫と実家が敵味方に分かれ、夫が生死不明のまま、妻も逃亡生活を余儀なくされる、という災厄。第二の災厄は、妻の逃亡先を突然襲った嵐による洪水と山津波。この第一の災厄は、物語の冒頭からある程度伏線がはられており、不安な通奏低音で読者に指し示されているので、そこに主人公が転がり落ちていく過程にも、ある程度心の準備が出来ていました。むしろ、その災厄を、この夫婦がどのように乗り越えていくのか、というところに興味があって、ずんずん前に読み進んでいった。

そうやって読み進んでいくうちに、主人公や、その周辺の人々に対する愛着や感情移入が生まれてくる。このあたりも、周五郎さんは実に巧みで、ちょっとぼんやりしたようで実は強靭な精神力を持っている愛するべき人物が出てくる。この人物や、お市が逃亡先で産み落とした一人娘への愛情が、読者の中で十二分に育ってくるところを見計らって、第二の災厄という悲劇を、ほとんど前触れなく爆発させる。

その悲劇の来襲はまさに突然の爆発のようで、心の準備ができていなかった読者は、そのもたらす悲劇に、登場人物と共にただ呆然と立ちすくむしかない。前半の中でも最も読者に愛される人物として造型された人物が、そして最愛の一人娘が、一瞬のうちに濁流に呑まれる。あまりにも残酷な悲劇ではあるけれど、山本周五郎さんが生きた時代においては、一種日常的な悲劇だったのかもしれない。最後の大団円の後、愛娘の不在に泣き崩れる夫婦の姿は、この時代の人々には身近な光景だったのかもしれません。

震災、あるいは戦災という、人の力の届かないところから突然来襲する災厄。この時代、そんな災厄によって、沢山の夫婦が、自分の命よりも大切にしていたはずの子供たちの命を奪われた。生き延びた親の心を、「山が焼ければ親鳥や逃げる身ほど可愛いものはない」という歌の幻聴が容赦なく抉る。山が焼ければ親鳥は、飛べない雛鳥を見捨てて飛び去っていく・・・という歌を、死んだ幼い娘の声が歌うのが聞こえる、という、まさに身を切られるような、残された親の罪悪感と悲哀・・・

広島原爆を語った井上ひさしの名作戯曲「父と暮らせば」で語られ、神戸の震災でも繰り返し語られた悲劇。それは、「生き残ってしまった」という罪悪感と、最愛の家族を失った喪失感が重なって、生存者を双方からさいなむ、という悲劇でした。中国残留孤児が戦後の人々の心を刺したのも、体力の限界にあって、子供を背負って国境を越えることができない、というギリギリの選択を迫られ、子供を大陸の大地に捨ててしまった親の慟哭があったから。国境に向かって走る列車の中から、母親たちが泣き叫びながら、次々に赤ん坊を投げ捨てた、という話を聞いて、その地獄絵図に思わず絶句してしまったことを思い出す。極限にあったのだから、とか、どうしようもなかったのだから、といった慰めは、当事者の心を癒すことはない。

自分が親になったから、余計に、この、極限の中での喪失体験に対して感情移入してしまうのかもしれない。とはいえ、当事者でない自分は、何一つ癒しの言葉を用意することができない。そして、山本周五郎という偉大な作家は、物語の結末に、生き残った者が出来ることは、失われてしまった命をひたすら慈しみ、ひたすら悲しみ続けることなのだ、という一つの愚直な真実を、静かな感動と共に据えるのです。

・・・「お市は良人の膝の上で、良人の手に頬をすりつけながら泣いた。はしたないとも、ふたしなみだとも思わなかった、泣けるだけ泣いていいと思った、それが信のためにたった一つの供養のようにさえ感じられたのである。―信さん、ここへ帰っておいで、お父さまとお母さまのあいだへ帰っておいで、さあここへ、これがお父さまのお膝ですよ。」・・・

周五郎さんは、戦後の精神風景を「喪われた世代」と総括することに激しく反発したそうです。「"喪われた"とはとんでもない。あの大戦を生き残った若者たちこそ、最も多くを得た世代ではないのかね。酔生夢死の生涯に比べてみてごらん、彼ら青年こそ、もう二度と経験できないような、充実した人生の体験者ではないのかね」

戦争によって、地位も財産も、あるいは最愛の人々すら喪った。でもその経験こそが、二度と経験できない人生の体験として、生き残った人々の人生の価値を高めている。生きることの価値を高めている。生き残ったからこそ、死んだ人の分まで充実した人生を、なんて気張ると、それはそれで重荷になるけれど、そういうことじゃないんです。ただ、生きている。それだけで、なんて素晴らしいことなのか、と実感できる幸福。「悲しんでいる人は幸いである」という真実。

ここまで書き進んできて、なんだか40歳を過ぎたおじさんが書く文章じゃないなぁ、という気がする。やけに青臭い、中学生か高校生あたりが書く文章のような気がする。でもそういう、人生に対する直球勝負の思いが、自然に、素直にこみあげてくるのが、周五郎作品の魅力。筵、という、地味な庶民の日常生活用具が、作り手の思いと工夫によって、美しい色と柄を持つ見事な芸術作品=花筵に仕上がっていくように・・・