日本語歌唱について最近よく考える

ガレリア座という所は、日本語でオペラやオペレッタを上演するので、日本語歌唱、ということにはすごく気を使うわけですけど、今回の「美しきエレーヌ」では、今まで以上に自分の中でそれを意識している気がしています。場数を踏んでいく中で、少なくとも頭の中では、色んな日本語歌唱に対する「知識」が蓄積されている結果でしょうか。でも本当は、頭だけの「知識」じゃダメで、経験に伴う身体的な技術が身につかないといけないんですけどね。よくこの日記で言っていますけど、歌手もアスリートですから、上手にスキーを滑る、というのと同じような身体的鍛錬が必要なんです。「前傾姿勢を保つ」なんていう言葉上の知識じゃなくて、上手に滑れた時の身体の傾きとか、斜面の見え方とか、背筋の感覚とか、そういう身体的な記憶を積み重ねていく作業。

そういう身体的な技術が、言葉による知識と一致したときに、「そうか、これか!」という「気づき」につながっていく。私の場合、今回の「美しきエレーヌ」で、やっと、母音の音の頭を子音化することで明確に発音する、という技術と知識が一致して、「そうか、こうやれば母音が明確に聞こえるんだ!」という「気づき」があったんです。よっしゃーと思ってこの「子音化する母音」というのを乱発したら、歌の後半で全然声が出なくなって、女房に、「ノドに無理な力がかかるから、乱発するとノドが持たないよ」と注意された。そういうことは早く言ってくれ。

若干身内びいきの話。一昨日日記に書いた「Fちゃんを偲ぶ会」では、献花の間のBGMという形で、女房が、「千の風になって」を歌いました。これが某A川くんが歌うオリジナル曲よりはるかに上手なんだ。A川くんと比べるな、と女房には怒られそうだが。何が違うのかなぁ、という話をしていると、女房が、「歌のラインが見えるかどうかなんだよ」と。

「A川くんみたいに、自分の発声のレパートリーが少ない人は、一つ一つの音を自分のベストの発声で出さないと、ということにばっかり意識が行ってしまうんだよ。フレーズを音のラインとして捉えることができない。歌にならないんだよ」

「せんのかぜに、せんのかぜになって」というフレーズがありますけど、この中で一番高い音は二度目の「かぜに」の「に」の音です。例えばこの「に」の音が一番高いから、といって、必死になって「Ni」という音で声を張り上げると、「風に なって」じゃなくて、「風 担って」に聞こえてしまう、なんていう日本語的なちぐはぐさが生まれてしまったりする。こういう「最高音に助詞が当てられる」ということって日本語の歌では結構あって、この助詞をどう料理するか、という所で、「千の風になって」という「言葉とメロディー」=フレーズのラインがどれだけ美しく響くか、が決まったりする。そのためには、一番目の「かぜに」の「Ni」と、二度目の「かぜに」の「Ni」の子音や母音の処理が、全然違う処理になったりする。

「Ni」という音をどう料理するか、というレパートリーをどれだけ持っているか、という技術的な問題。同じ「A」の母音でも、ここの「A」と別の場所の「A」が全然違っている。与えられたフレーズの中で、どの「A」を使えば、言葉とメロディーが一番美しくお客様に届くか、という試行錯誤。それができるためには、自分の中の「A」のバラエティをどれだけ沢山持っているか、という勝負になる。

ひょっとしたらこの日記にも以前書いたかもしれないけど、昔、女房から聞いたお話があります。ウィーン・フィルだったか、世界最高クラスのオケにいらっしゃるティンパニー奏者に、誰かが、「いい演奏をするための極意はなんでしょうか?」と質問した。そのティンパニー奏者は恥ずかしそうに、「これが私の極意です」とあるノートを見せてくれた。そのノートには、この作曲家のこの交響曲のこの楽章のこのティンパニーパートでは、このバチを使う、というバチの種類が事細かに書かれていたんだって。この曲では硬いバチ、この曲では柔らかいバチ、この曲では普通のバチ・・・

歌い手にとっての、「バチ」の種類を増やすこと。それって、発声や母音・子音、身体のフォーム、という形で意識されることもあれば、もっと漠然としたイメージで意識されることもある。先日の「エレーヌ」の練習で、音楽監督のNくんに、「そこのカルカスはもっと、上を意識してください」と言われてやってみたら、劇的にフレーズの印象が変わった、ということがありました。「上」というイメージでフォームが変化し、声の色が変化し、結果として母音や子音の色が変わり、フレーズ全体が変化する。それを身体に定着させていけば、イメージはテクニックに変わっていくんだけど、それがなかなか難しい。

イメージや、フレーズに対する感覚を磨くこと。さらには、細かい母音や子音の処理において色んな「引き出し」=バチの本数をそろえておくこと。「エレーヌ」の練習を通して、色々と試行錯誤している、今の段階の練習って、結構楽しいです。