久しぶりの「第九」

今年も第九の季節になってきました。女房は、大久保混声合唱団の関係で、毎年必ず第九を歌っているのだけど、私は久しく歌っていない。社会人になって数年目くらいに、大学時代の合唱団のOB合唱団で歌ったのが最後・・・だから、もう15年くらい歌っていない計算になります。なんてこった。

昨年末も、なんとなく、「第九が歌いたいなぁ」なんてブツブツ言っておりました。女房あたりに、「そこらじゅうでやってるんだから、応募してみれば?」なんて言われていたんですが、今年はご縁があって、大田区のアプリコ・シンフォニー・オーケストラが主催する第九の演奏会で歌えることになりました。先週・今週と練習に参加してきたのですが、なかなか大変である。

「大変である」の1つめは、合唱団の中に男性がとっても少ないこと。全部で100人くらいの合唱団なんですけど、練習に来ているベースは3人、テノールが5人・・・とか、そんな感じです。年齢的にもご高齢の方が多く、とてもいい声の方も沢山いらっしゃるのですが、パワーという点では相当大変。本番には、かなり声の出る方が参加されるようなので、何とかなると思うのですが。

で、女性が多いからといって、女性の声がパワフルか、というと、こちらも年齢の問題やテクニック的な問題があり、ところどころで相当音程が危うい。ヘタをすると1音くらい音が下がっちゃうところが出てくる。その脇で歌っていると、なんか自分の声がハウリングを起こしたような、とても前衛的な音がします。

女房に、「なかなか大変だよ」という話をしたら、「アマチュア合唱団の第九というのは、そういうもんだよ」とのこと。とても歌いがいのある曲なのだけど、アマチュアがチャレンジするには、実はかなりの難曲。「大変である」というのの2つめは、やっぱり難しい曲だなぁ、という気持ちです。音程もそうだし、拍感もそうですが、とても厳密に、正確なビートと音程を作っていかないといけない曲。しかも、音域が恐ろしく広くて、一つ一つのフレーズが長い。これで終わりか、と思ったらまだ続いている。相当ペース配分を考えて歌わないと、後半声がなくなってしまう。

それでも、この第九、と言う曲が日本でこれだけ愛され続けている・・・というのは、曲の完成度の高さだけじゃなく、歌自体のもつ経済的な側面、というのもある気がします。費用対効果がいい、というか。まず、曲の長さがちょうどいい。年末に、ヘンデルの「メサイア」を歌う合唱団も多いですけど、これはちょっと長すぎる。曲が短いので、第四楽章だけ抜粋した楽譜は手ごろな値段で手に入るし、そんなに無茶苦茶練習をしなくてもなんとか覚えられる。それだけ短い曲の割にそれなりに難度が高いので、練習のしがい、歌いがいがある。合唱なんか全然知らない、という方が、第九の演奏会に参加して、さらに合唱の世界に入っていく、というのは、一つのパターンとしてあったんじゃないかと思います。そういうアマチュア演奏家の入り口として、とても「手ごろだけど大変」な曲。

大変な曲だぁ、と思いながらやっているのですが、やっぱり楽しいです。ほんとにいい曲なんですよね。大学時代に歌った時は、ワールドジュネスミュジカルオーケストラがつくば万博で演奏したステージに参加したんだったなぁ。指揮はとても元気だった頃の岩城宏之先生。合唱を指導してくださった阿部純先生のアナリーゼがすごく新鮮で、第四楽章を聞くとその楽曲分析の一つ一つを思い出します。「ここで各楽章のテーマが現れて、全部否定されていくんだよね」「ここで『歓喜』を求める軍隊が進軍していくんだ」「ここはオーケストラが、『歓喜』を求める軍隊と抵抗勢力との壮絶な戦いのシーンを演じていて・・・」「ここで、死屍累々の大地の中に、『歓喜』の旗が翻る・・・」つくば万博、なんて言っても、「つくばで万博なんかあったの?」という人が多いだろうなぁ。先日、「ソウルでオリンピックやったことあるんですか?」と聞いてきた派遣さんがいて、おじさんは泣きそうになったよ。

こうやって久しぶりに歌ってみると、大学生時代に歌った歌っていうのは結構覚えているもんだなぁ、と思います。社会人になってから歌ったガレリア座の曲なんかほとんど覚えていないのに、大学時代に歌った合唱曲はすごくよく覚えている。いまだにミサ曲、というと、大学3年生の時に歌ったマルタンのミサ曲(き〜〜い〜い〜い〜い〜い〜い〜い〜い〜りえ〜え、えれ〜いぞ〜ん)と、1年生の時に歌ったドヴォルザークのミサ曲(き〜りえ〜えれ〜ええ〜いぞん)が頭に鳴ります。大学一年生の時に歌った、大中恩さんの「島よ」(わたしでわないのか〜しまょしまょしまょしまよおおお)とか、二年生の時に歌ったブルックナーのテ・デウム(ずちゃちゃちゃずちゃちゃちゃずちゃちゃちゃずちゃてーでーおむらおだーむす!)や、ブラームスドイツ・レクイエム(でぃーえるれーぜてーんですへーる!)も、身体が覚えてしまっている。懐かしいなぁ。()内はほとんど意味がないなぁ。

大学時代なら、力任せに歌っても全然平気でしたが、最近は少しでも力任せになってしまうと、最後まで声がもちません。最後の「ゲッテル・フンケン(神々の花火)」をできる限り盛大に散らせるように、明日の本番、精一杯歌いたいと思います。楽しみ〜。