「ちりとてちん」〜人を気持ちよくするには〜

先週末までのインプットを下記に並べておきます。相変わらず実りの多い日々です。

・ドラマ「ちりとてちん」を女房と一緒に見る。よく出来た脚本だなぁ。
・P.K.ディック「火星のタイム・トリップ」を読了。この時期のSFで、やるべきネタは全部出尽くしたって感じがする。
「第九」の演奏会の本番が土曜日にありました。楽しかったぁ。
・「誰でもピカソ」に出ていた某テノール歌手の「見上げてごらん夜の星を」を聞いて、あまりの○○さに呆然とする。だって、ほんとに○○なんだぜ〜。いくら○○ィ夫人がパトロンだからって、あんなの公共の電波に乗せちゃダメだよ・・・
・お知り合いの歌い手さんが出られるというので、青山教会の古楽器の演奏会に。思わぬ人との出会いがあってびっくり。
村上春樹の「東京奇譚集」を読了。ちょっといい話集。

これは絶対全部は書ききれませんね。とりあえず、今日は「ちりとてちん」の話を。
 
女房が「ちりとてちん」に最初にはまりました。「どうしてもこの感動を共有したい!」と、録画していたのを私に見せてくれて、私も次第にはまっています。あんまりNHKの朝の連続ドラマにはまった経験がないので、色々と、朝ドラの「お作法」を知るところから始めていたりする。1週間分で1つの話が出来上がっているので、月曜日から土曜日まで、お話のタイトルが変わらない、とか、そうなると、大体、土曜日に次の週の仕込みがあって、月曜日にとっかかり、火曜日、水曜日と話が発展し、木曜日、金曜日に最大の盛り上がりがあって、土曜日の前半に大団円、さて来週は・・・というサイクルになる、とか。考えてみると、15分×6コマ、ということだから、大体1週間で2時間ドラマ1本分の話を作るってことになるんだね。すげぇ、大河ドラマ(一週間に45分)の2倍じゃん。それが毎週か。スタッフが大変だなぁ・・・

女房はさらにディープな楽しみ方を覚えてしまって、朝ドラが終わった後の、8時30分のニュースキャスターさんがどんな表情をするか、というネタでネット上で盛り上がっているのを楽しんでいたりする。「これからどうなるんでしょう」という顔をするキャスターさんや、「よかったですね、はい」と納得する顔のキャスターさんもいれば、中にはあまりに感動的な展開に、少し涙声になってニュースを読み始めるキャスターさんもいたりする。従い、我が家のDVDレコーダの予約録画は、月曜日から土曜日の8時15分から、「16分間」で設定してあります。ううむ、コアな楽しみ方だ。

主役の貫地谷しほりさんの確かな演技力とチャーミングな笑顔もとっても魅力的だし、徒然亭一門の掛け合い漫才や、それを上回るボケ家族の和田家のやりとりも笑えるのだけど、中でも和久井映見さんの見事なボケっぷりとセリフの間合いが素晴らしい。もともと「動物のお医者さん」の菱沼さんを見たときから、こういうボケキャラをやらせたらすごい、ということは認識してたんだけどね。しかし、和久井さんがお母さん役かよ。酒井法子さんがお母さん役やったドラマを見た時以来の衝撃だな。年取るわけですなぁ。

多分、どの連続ドラマもそうなんでしょうけど、一種の「群像劇」ですよね。そうなると、一人ひとりのキャラクターが、脇役に至るまでどこまできちんと「立って」いるか、というのがポイントになってくるのだろうけど、全てのキャラクターがどれもとても魅力的で、それでいてメインのストーリから決して逸れていかないところがいい。三味線から塗り箸、落語の録音テープまで、一つひとつの小道具にまで十二分に配慮された行き届いた脚本。

先日見た回で「いいなぁ」と思ったシーンは、草若師匠が、傷ついた喜代美ちゃんにお茶を出してあげるシーン。ポットから直接お急須にお湯を注ぐのではなくて、まず湯呑み茶碗に入れて湯呑みを温め、お湯を少しだけ冷ます。急須に掌をあてて、温度を確かめて、ちょうどいい加減になったところで、湯呑みに注いで、すっと出す。人の心を温めるための作法をきちんと身につけた人の「おもてなし」と「いたわり」。

喜代美ちゃんは、「どうしてあのお茶であんなに気持ちが落ち着いたんだろう」と後で不思議がるのだけど、「人をいい気持ちにさせるにはどうしたらいいか」というのを考え続けている落語家の師匠が、生活の中からしっかり身につけた、おもてなしの作法なんですね。女房が、「人をいい気持ちにするにも、ああいうテクニックが必要なんだよね」と感心しておりました。そういう表現をきちんとできる渡瀬恒彦さんの所作の美しさもそうだけど、そういう細かいところにまで目配りの聞いた脚本と演出もすばらしい。

以前、声優の勉強をしていた時に、その養成所のプログラムの中で、落語の勉強、というのがありました。芸の世界を勉強することで、表現の幅を広げよう、というプログラム。講師をしてくださった落語家の師匠が、確か、故・柳家つば女師匠、という方。この師匠が、普段のお着物姿から、日常の所作まで、一つ一つが「落語家」そのもの、という感じ。簡単に言えば、江戸の人間がそのまま現代に現れたような、古典落語の登場人物たちの所作が、日ごろからすっかり身についている、という感じなんですね。日の高いころから飲み始めて、なんだか普段から酔っ払っているような伝法な感じも、まさに「落語家」。これが高座に上がると、実に実に名人芸の話芸で盛り上げてくれる。肝硬変で亡くなった、というのもこの日記を書くために調べていて知ったのだけど、死に方まで含めて、まさに「落語家」の生涯だったんだなぁ、と思いました。本物の芸人。

喜代美ちゃんは、掃除洗濯から落語家修行を始めるのだけど、そういう修行は、生活の中から「落語家」という職業人になっていく、地に足着いた大事なプロセスなんだね。生活の基礎から、人を気持ちよくさせるテクニックを学んでいく。そういう形やテクニックを身につけていくことで、逆に魂も生まれてくる。生活から遊離したバーチャルなマネーゲームで金を稼ぐ商売が増える中で、こういう根のしっかりした職業人の作り方を見せられると、なんだかほっとする。生きるための基礎力を学ぶ過程、というか。

今週は、喜代美ちゃんが初めて高座に上がるんだよね。これから喜代美ちゃんがどうやって「落語家」という職業人として成長していくのか、毎週楽しみに見ていこうと思います。