少しずつでも前進していければ

昨日予告したとおり、本日分を持って、今年の更新を最後にしたいと思っています。昨年もやりましたけど、今年一年を振り返って、自分の中で印象に残ったインプットから、特に印象に残ったものを並べて、今年のシメとしたいと思います。

(1)大田区民オペラの「カヴァレリア・ルスティカーナ」
(2)娘の小学校お受験
(3)ボヘミア・オペラ「利口な女狐」

この他にも、ガレリア座の「乞食学生」とか、演奏終了直前に息が止まりそうになった、モネ劇場のマーラー、同じように呼吸困難になった、勘三郎の襲名公演、本で言えば、山本周五郎諸作品との出会いとか、色んなインプットがあったんですが、その中でも、特に、これからの自分の進む方向性のようなものについて、すごく得ることが多かったものを挙げました。

(1)のカヴァレリア。なんといっても、小松一彦先生の緻密な指導に触れることができたことが一番大きいと思います。楽曲の基本に忠実でありながら、「舞台」というライブの空気・雰囲気を作りあげていくために、出演者の緊張感を十二分に引き出していくプロセス。何より、「練習」という時間を見事なパフォーマンスとして仕上げていく練達の手管を堪能させていただきました。同じ時期に、ガレリア・フィルの第一回演奏会で、角田鋼亮さんという若い指揮者の指導にも触れることができたこともあり、指揮者、という職業の多層的な側面を実感することができたように思います。楽曲の全体像の中での部分の意味と、それを楽譜通りに表現するために必要な基本技術。部分部分を緻密に組み上げていく地道な反復作業。そうやって部分の緻密さを追求するのは、あくまで、全体の構成をクリアにし、ライブの雰囲気、空気を作るため。音楽を通して、観客と空気を共有し、一体になるため。全体と部分、基礎と応用のバランスがとれて初めて、観客を包み込む強い強い「空気」を作っていくことができるのだ、ということ。加えて、久しぶりの伊藤明子さんの演技指導の元、自分の演技、自分の表現をじっくり見つめなおすことができた、本当に素晴らしい機会でした。

(2)は、なんと言っても今年の我が家の最大のイベントでした。何よりも、家族が一緒になって、子供の成長を見守っていくプロセスが楽しかった。この頃の子供というのは本当に柔軟で、粘土のように日々形を変えていきます。昨日できなかったことが今日はできるようになっている。そして何より、親の精神状態を如実に反映する。親の期待を重圧にしないように、と思っても、子供は親の気持ちを汲んで、一生懸命頑張ってくれます。この頃の子供ほど、親に優しい存在はないと思う。
受験の結果については、ほとんど宝くじのようなものではあるのですが、その宝くじにあたるためのノウハウを寄ってたかって教えてくれる「お受験産業」の構造についても考えさせられました。「教育」の後ろには、教育産業があり、その産業を支える親の不安と、その不安の源泉となっている社会構造がある。今の日本社会の様々な問題を、身近な問題として実感すると共に、これから、この社会の中で、自分の子供をどう育てていくのがよいのか、真剣に考えさせられたイベントでした。

(3)は、今年見た舞台や演奏会の中でも、一番印象に残った舞台でした。自然と、自然の一部としての人間の交流を描いた味わい深い音楽。そしてその音楽が、民族を超えて、国境を越えて、チェコの人々と東京の観客を深く深く結びつけたあの時間。カーテンコールで、いつまでもいつまでも鳴り響いた拍手の温かさは、多分一生忘れることはないと思います。昨年のゲルギエフの「悲愴」の終演後の、重い重い沈黙の対極にあって、音楽の持つ太陽のような温もりを感じさせてくれる、本当に素晴らしい時間でした。この公演に誘ってくれたS弁護士夫妻には、本当にお礼をいいたいと思います。

今年も、世界各地で、そして日本で、たくさんの悲劇が起こりました。たくさんの幼い命が奪われ、そしてその命は二度と戻ってきません。それでも我々が歌い続け、舞台表現を続けていくのは、今生きている人々、同じ舞台を共有している一人でも多くの人たちに、幸福な時間を届けるため。舞台の上と客席が一体になり、温かな空気を共有する幸福な時間を作り上げるため。今生きている我々が、一人でもたくさんの他の人を幸福にすることが、失われた命に対する最高の贈り物になるのだと信じて。そのために、少しでも多くの人に、幸福な空気を届けるために、一歩でも前に進んでいくことができれば。

来年が、全ての人々にとって、幸福な一年でありますように。みなさま、よいお年をお迎えください。