「愛は波の彼方に」〜舞台ってのはコッパズカシイもの〜

昨日、以前日記にも書いた、コール・サファイア/コール・キルシェのジョイント・コンサートがありました。私は最後の合同ステージ、「愛は波の彼方に」の構成と朗読を担当。おかげさまで、出演者の皆様にも、お客様にも、それなりに満足いただいたようで、ほっと一安心。

この日記にも以前書いたのだけど、風戸強さんのロマンティックな詩と、金井信さんの親しみやすいメロディーを持ったこの曲を、「全くオリジナルの物語で再構成してくれないか」というのが、指揮者の辻志朗先生からのご要望。私が、ガレリア座で何度か試みた、オリジナル・ガラ・オペレッタ、という手法に少し近いところもあり、それは面白そう、と引き受けて、まず、歌詞と曲を一通り確認。

基本的に、ママさんコーラス向けの合唱曲、ということで、昔懐かしい1960年代ポップスの雰囲気が強い曲。女声コーラス、ということもあり、一人称で歌われる曲の全てが、女性が昔の恋愛経験を歌う、あるいは、現在の幸福への賛歌・・・という感じ。であれば・・・ということで、こんな物語をでっち上げました。

ある初老の男性の元に、一通の手紙が届く。見知らぬ若い女生徒の手によって書かれたその手紙には、「先日、突然逝ってしまった母の遺品の中から、投函されなかったあなた宛の古い手紙が、何通も出てきました・・・」と書かれていた。同封された手紙の束に書かれていたのは、かつてその男性が愛し、別れた女性の愛の言葉だった・・・

ということで、その女性の愛の言葉=合唱曲、という物語を作ったのですが、「自分が死んじゃうのはちょっと身につまされてヤダ」という合唱団の方々のご意見があり、これはボツ。(結構気に入ってる物語だったので、どなたか別の合唱団で採用してくれませんかね?)

次に、人が死なないように、と考えたのが、会社を定年退職した男性が、かつての恋人と暮らした思い出の街に一人旅をする、という物語。その旅の途中、かつての恋人との日々を思い出す、その思い出を、合唱団(=かつての恋人)が歌う・・・というお話。最終的にはこれが採用されたのですが、その過程でも、「定年なんて、ちょっと寂しくないですか?」というご意見をいただき、最初かなり内省的に作っていた台本を、もっと前向きに、明るい印象に書き換えました。

「定年退職」というのは、我々にとっては、(かなり近づいてきたとはいえ・・・)まだまだ先の将来の話なんですけど、実際に団塊の世代の方々が多い団員さんたちにとっては、やっぱり「身につまされる」話題なんですね。それを湿っぽくせず、ある意味理想的過ぎるのかもしれないけど、「何にも束縛されない自由な時間」と前向きに捉えた上で、そういう自分のこれからの日々を支えている、かつての輝かしい青春の記憶、という、明るい印象で全体を作り上げてみました。

そういう団員さんとのやりとり、というのも、すごく自分にとっては新鮮で、私自身の持っていた、「晩年」とか、「定年」という言葉の持つネガティブな印象が、団員さんたちのおかげですっかり変わってしまった気がします。自分自身が、「こういうオジサンになれたらいいなぁ」と思えるような、そんな楽しい気分で演じることができました。

本番の控え室で、団員さんたちと話していたら、ある団員さんが、「最初ね、この曲をやるって決まった時は、すごく拒否反応があったのよ」とのこと。どうしてですか?と尋ねたら、「だって、愛してるだの、いつまでも離さないだのなんだの、恥ずかしいじゃないの」ですって。

「そんなこと、旦那に言われたことなんか一度もないわよ」なんて、笑いあいながらおっしゃる。実際、風戸強さんの歌詞はあまりにロマンティックで、聞く分にはいいけれど、自分が歌うとなると「コッパズカシイ!」という気持ちが先に立ってしまったそうです。

「でもね、Singさんの朗読が入って、物語の中に組み込まれると、『あら、いいじゃない』って感じがしたの。そうか、そういう気持ちなんだなって、納得できたの」

という、とてもありがたいお言葉をいただいたのですけど、面白いなぁ、と思って聞いていました。

私のように、オペラやオペレッタの世界で歌を歌っている人間からすると、歌というのは全てがドラマです。オペラに至っては、三角関係だの人殺しだの不治の病だののドロドロドラマが繰り広げられる、一種狂気の世界。日常世界からは遠く離れたところで、愛だの恋だのを暑苦しく歌う。ドラマがあり、物語があって、歌がある。そこに一貫性や必然性があるんですね。

でも、合唱曲という独立した表現だと、その曲の中で完結したドラマを作らないといけない。美空ひばりが「悲しい酒」を歌う時に、いつも目に涙をためて歌っていた、それくらい、1つの曲を歌う時に、自分のテンションを上げないといけない。普通、自分の泣いている姿を人目にさらす、なんてこと、恥ずかしくて出来ないですよね。要するに、舞台に立って愛の歌を歌う、ということは、ものすごく「コッパズカシイ」ことを、前後の脈絡なく突然やらないといけない。これは結構大変なこと。

そういう「コッパズカシイ」ことを、普段から平気でやっている舞台役者やオペラ歌いである我々から見ると、合唱団の方々のそういう感想が、かえって新鮮だったりする。そういう「コッパズカシサ」を軽減するのが、「物語」であり、「ドラマ」である、という所が、なんだかすごく面白い。一つの物語、そしてその中の登場人物を演じること、というのは、人が普段できないような行動を可能にする、一つの魔法なのかもしれません。どんなに「コッパズカシイ」ことだって、何かしら一貫する物語を与えられ、役割を与えられれば、自分の中で納得することができる。志朗先生が、このロマンティックな曲集を団員さんに歌っていただくにあたって、団員さんが歌いやすいように、と、私に物語作りを発注された背景が、なんだかやっと分かった気がしました。

舞台というのは、魔法の場所。物語の魔法にかかることで、舞台の上の人の心が解放され、客席の人の心も解放される。そういう、「物語」の持つ魔力を一番実感できる場所。今回の舞台に立った皆さんが、そして客席の皆さんが、私の書いた物語の魔法(私が舞台でやった座興の手品程度で、まぁたいした魔力ではないけれど)で、少しでも心安らぐ時間を過ごせたのなら、本当に嬉しい。サファイアの皆様、キルシェの皆様、素敵なピアノ伴奏で朗読を盛り上げてくださった橋浦淑子先生と、悦子先生、そして、こんな素敵な機会を与えてくださった志朗先生、本当にありがとうございました。やっぱり舞台っていいなぁ。ほんとにいいなぁ。