「殺人を綴る女」〜根無し草たちのアメリカ〜

ここのところ、インプットの機会がすごく多くて、ありがたい話。デセイのリサイタル、二期会の「天国と地獄」だけじゃなく、日記に書ききれない勢いで、色んなインプットがあります。この日記に感想を書ききれるかどうかは別として、とりあえず、下に並べておきます。

・メアリー=アン・スミス「殺人を綴る女」を読了。アメリカは広い国やなぁ。
村上春樹「アフター・ダーク」を読了。割と軽めの作品だけど、描かれている世界は深い。引き続き、「海辺のカフカ」にどっぷり没入中。
大田区の「第九を歌おう」演奏会のオケ合せに参加。ホント、疲れる曲だよ。
・月探査衛星「かぐや」の特番をBSで見る。昔の特撮映画って、やっぱり凄かったんだねぇ。

今日は、「殺人を綴る女」の話を。
 
例によって、図書館で、何か面白そうなミステリーはないかな、と手に取ったのがこの本。こういう「偶然手に取った本」というのは結構当たり外れがあるんですけど、この本は「当たり」でした。ラスト近くのどんでん返しの見事さ。苦味と希望のないまぜになった静かなラストシーン。大人のミステリー、という感じ。

この手のアメリカのミステリーを読むと、いつも感じることなんですけど、アメリカという国は本当に広いんだなぁ、というのが一番の感想。土地によって全然、文化構造や精神構造が異なってしまう。私は米国というと、東海岸のお洒落な都会しか知らないんですが、中西部や西海岸は全く別の文化を持っているんですね。

この本の舞台になるのも、そんな「ブルー・アメリカ」から遠く離れた、「レッド・アメリカ」の寂れた地方都市。そこでは、人種は、「差別」されるのではなくて、「区別」されており、それぞれが尊重されながら決して交わらない。その隔絶は遠く、アメリカ植民時代にまで遡る。停滞と沈滞が覆う街で起こった惨劇と、その背後にある入り乱れた人間関係・・・

主人公が(というか、恐らくは著者自身が)かなり熱心な民主党支持者で、ヒラリー・クリントンの信奉者であり、夫はクリントン大統領のブレインの一人、という設定も面白い。要するに、アメリカ議会政治の上層部エリートにつながる上流階級の女性(「ブルー・アメリカ」の象徴的存在)が、レッド・アメリカの中心に巣食うアメリカ国家の病巣と対峙する、という構造。その対峙の中で、「ブルー・アメリカ」自体の持っている空虚さも暴かれる。主人公自身が、アル中の母親を持った悲惨な少女時代から、自分の頭脳と夫の社会的地位に助けられて這い上がった女性であり、ある意味「根無し草」である、という設定が秀逸。

主人公は殺人事件のドキュメンタリーを専門とする作家で、「人々のすぐ側にある異常な暴力に対する警告を鳴らし続けるため」と称して、そういう題材を追い続ける。そこには、一人一人が極めて孤独な根無し草たちが、かろうじてすがり付いている日常や家族という絆を、容易に破壊してしまう狂気に対する恐怖感が垣間見える。主人公自身が根無し草だからこそ、そういう狂気に対する恐怖感や嫌悪感はとても強いのだけど、その狂気自体も、孤独な根無し草の想念が自分だけの思い込みに沈潜していく過程で生まれてくるわけで、うがった見方をすれば、殺人犯をひたすら追いかける主人公も、追われる殺人犯も、同じ穴のムジナに見えてくる。

根無し草が根無し草の犯罪を追及し、お互いを傷つけ、攻撃しあう過程で、最後の個人の拠り所として、家族に、夫婦の愛情に帰っていく・・・というオチ。それほど単純化できない複雑なストーリなのだけど、アメリカという、根無し草たちの作り上げた国が宿命的に持つ、「自分のアイデンティティ探し」というテーマを改めて認識した一冊でした。

クリントン夫妻への言及もそうなのだけど、ところどころに挿入されるO.J.シンプソン事件に関するエピソードも面白かった。主人公のベストセラーになった犯罪ドキュメンタリー本の一冊が、シンプソン事件のドキュメンタリーだ、という設定なんですが、作者自身のあの事件に対する見解が各所で披露されていて面白い。シンプソン事件というのは、米国の裁判制度のゆがみ、という社会問題が極めてグロテスクな形で表面化した事件でしたけど、それだけに、米国の人々の心の中に、一種のトラウマとして染み付いているんだなぁ、と思いました。