物理現象

最近ほんとに仕事が雪だるま式に膨らんでいて、押しつぶされそうな毎日。いつもはスチャラカ社員やってごまかしているんだけど、時々ごまかしが効かなくなって、毎日23時くらいまで残業・・・という感じになる。でもこう書くと、「23時なんて全然早いじゃないですか」なんておっしゃるモーレツ社員の方々も一杯出てくるんでしょうねぇ。

一応、グループリーダ、なんて肩書きをもらって仕事しているんだけど、どうも不思議なのは、私が入社した頃の会社のグループリーダって、こんなに仕事してなかった気がするんだよねー。残業はしてましたよ。でも、どっちかというと、部下に作業をやらせて、その作業の結果が出るのを机で待っている、という残業だった気がする。実務は部下がやっていて、上司はそれをチェックする。

最近、グループリーダーも、その上の部長クラスも、結構バリバリ実務をこなしている気がする。昔は、色んな資料を部下が作って、上司はそれに赤ペンを入れる、というのが仕事のスタイルだったのだけど、最近は、上司がガンガン資料を自分で作っている。私も例に漏れず、毎日資料作ったり、数字計算したりしてます。どういうことなんだろう。

色んな要因が重なっているんだろうな、とは思います。バブル以降の採用抑制によって、若年層の「実作業部隊」が減少してしまった結果、かつて「上司」といわれた職位の人たちも実務をこなさないといけなくなった。仕事の総量自体も、内部統制やらCSRやら監査基準の厳格化なんかで増えている。特に、管理者といわれる人たちがやらないといけない管理系の仕事が増えている。

まぁそういう背景は別として、一労働者として考えると、「一体なんでこんなに仕事してるのかなぁ」と思うことはあるんだよね。管理者になってますから、残業代だって出ない。別にこんなに仕事しなくて、「もらっている給料分の仕事だけします」と宣言してしまっても、すぐに会社をクビになるわけじゃない。閑職に追いやられて、窓際族、なんて言われたとしても、楽して給料ちゃんともらえるのであれば別にいいよねぇ。以前見た「病院に行こう!」という映画で、仮病で病院に入院しているおっさんが、ちゃんと給料貰い続けていて、「どこまで病院と会社をだませるだろうか」とほくそ笑んでいる、というシーンがあったけど、そこまでいかなくても、サボりまくっても会社にしがみついていれば、強制的にクビにされることもなく給料を貰い続けることだってできる。

本当に経済的に合理的な思考をする労働者であれば、労働対価と比較して労働時間や労働内容を選択していくはず。実際には選択の自由は制限されている、なんていっても、それなりに仕事を選ぶことはできないわけじゃない。それでも、一銭にもならないサービス残業をヘトヘトになるまでこなしながら仕事している人たちがいるっていうのは、何故なんだろう。

と考えていくと、それって、「プライド」とか、「善意」とか、「出世欲」とか、そういうおよそ合理的でない感情要因から来ている行動なんですよね。もっと言ってしまえば、「隣のあの人があそこまでやっているのに、オレもここまでやらないと」という強迫観念のようなもの。あるいは、「人にバカにされたくない」というプライド。窓際で一日ぼんやりして給料ふんだくることだってできるだろうけど、そういうポジションになった時の周囲の目が怖い。周りに評価されたい、という欲求。

仕事のやりがい、というのは、決して給料では測れない、という話も、最近よく聞きます。低賃金であったとしても、職場の雰囲気がいい、とか、自分の仕事で喜んでくれる人の笑顔を見ることができる、とか。いわゆる「合理的経済人」の行動様式とはかなりかけ離れた原理で、人は動いている。

そういう人の動きをうまく説明する方法ってないのかなぁ、と思っていたら、最近、経済の世界では、「経済物理学」と言う言葉が一般的になっているんですってね。経済活動を説明するのに、物理学の世界の文法がうまくあてはまるんだって。でも実際、一つの行動様式に縛られて一斉に一方向に駆け出していくような最近の企業や個人の行動様式を見ていると、重力に引かれて坂を転げ落ちていく物体のような感じがしないでもない。寡占企業がますます巨大化して中小企業をつぶしていく様子なんか、圧倒的な重力で周囲の全てを飲み込んでいく巨大惑星と小惑星・・・と言う風に見えなくもないよね。もちろん、「経済物理学」というのはそんな単純なアナロジーで語れるような学問じゃないんだろうけど。

てなわけで、重力に引かれて転がる雪だるまのように膨らんでいく仕事の量を見ながら、「これも物理現象かな」なんてため息をつく私でありました。我に休息を・・・