たまにはビジネスマンみたいなことを

今日はたまにビジネスマンみたいなことを並べてみたり。

国際通信だの海底ケーブルだ、なんて公共インフラの仕事をしていると、政治家の皆さん方とか、何だか怪しげな第三セクターとかが、是非我が町にケーブルを陸揚げして欲しい、なんて言ってくる。特にアベノミクスで国土強靭化なんて話が盛り上がってくると、色んな公共事業にイッチョカミの連中が群がってくる。公共インフラっていうのはそういう政治家のアピールにしやすいもので、九段下駅半蔵門線と都営新宿線の壁の件なんか、明らかに猪瀬直樹のアピールに利用されたケースだよね。壁がなくなって確かに便利にはなったけど、10億もかけてやることだったのかなぁ、とは思う。

引っかかるのは、アベノミクス礼讃の論調の中で、日本の国際競争力をどう確保するのか、という議論の答えが中々見えてこないこと。国土を強靭化するためのインフラ投資って、そのまま公共コストの上昇につながるから、それに見合うだけの円安にならないと日本の国際競争力が保てない。でもそれって海外からの輸入品の購買力が失われるから、電力などの公共料金の更なる値上げ圧力になる。行き着く先はハイパーインフレ?勿論、そういう議論がなされていないわけじゃなく、かなりの論者が似たような問題提起をしてるんだけど、明快な答えが出てこない。

一番不安なのが雇用問題で、安倍さんに言われて賃金上げてる会社もあるみたいですけど、賃金上昇圧力を受けた国際企業の次に取る行動は海外への雇用アウトソースなんだね。日本国内の雇用にはつながらない。雇用なき経済成長、という言葉があったけど、まさにそういう状態で、海外に売上も費用もアウトソースしてしまった企業とその経営陣だけが肥え太って、日本の国内の雇用が破壊され、それに伴って国内市場も破壊され、ハイパーインフレで生活水準も極めて貧しくなる、という暗い未来絵図を想像して薄ら寒くなったり。

なんでこんなことを書いているか、というと、今度4月に会社の人事制度が大幅に改訂されて、基本給は減給、成果部分を厚くする、という話になり、会社への貢献度、みたいなことがやたらと強調されるようになったから。海外の通信事業者と競争していこう、と思ったら、人件費単価の低い国への単純作業アウトソース、という話が必ず出るし、高い人件費を払って雇用している日本の労働者は、私含めてどんな付加価値を会社に与えているんだ、と厳しく問われることになる。ユニクロが仕事できない人にとことん冷たい職場だ、という話が一部マスコミで盛り上がっていて、一時期のウォルマートたたきの日本版みたいな政治キャンペーン臭を感じつつも、企業がグローバル化するっていうことは、グローバル化した労働市場の中で自分自身生き残っていけるかっていう話なんだなぁと改めて思う。

もう一つ、最近読んだ、徳川家広さんの「なぜ日本経済が21世紀をリードするのか」という本が非常に面白かった、というのもある。資本主義の論理の下で、石油などのエネルギーの活用やIT化による効率化を企業が志向する以上、大量の失業者の発生と、それによる購買市場の縮小による再調整が必然であり、資本主義というシステムそのものが内在的に脆弱さをはらんでいる、という論理は明快で、帝国主義産業革命による効率化が生み出した大量の失業者に対して、軍隊と植民地という雇用機会を与えるための仕組みだった、という説明は、以前読んだマクニールの「世界史」のように新しい視座を与えてくれる。日本の資本主義の発達の基礎を、徳川幕府の創始時に確立した固定身分制による分業体制の確立とする見方は、徳川家の末裔の筆者の我田引水、という人もいるかもしれないけど、純粋に説得力があるし、これからの資本主義の行先を占う予言書としても面白い。

徳川さんの予言によると、書名も語っている通り、日本の未来はそれほど暗くはないのだけど、徳川さんが言う、「いつか日本もドル貨を稼ぎ続けることが無意味であることに気付く」とか、「円を切り上げて対外購買力を上げるべき」といった議論から、現実の企業行動がどんどんかけ離れていく現状と、それによって雇用機会と将来への夢を奪われて無力化していく若者たちを見ていると、やっぱりなかなか楽観的になれなかったりする。もし日本が沈没してしまうことになっても、日本以外の場所で生きていけるように、娘には英語その他の外国語のコミュニケーション能力と、どこでも暮らしていける生活力を身にをつけて欲しいと思っています。当の娘は、最近ドイツ狂い(例のヘタリアのせい)で、ドイツ語もいいなぁ、なんて言ってますけどね。いいと思うぞ。