「東京の地霊」〜大阪・神戸編もやってほしいなぁ〜武蔵野の地霊〜

会社の上司に、「古い洋館とか結構好きなんですよ」という話をする。結婚式を挙げた都ホテルが、昭和初期の財界人かつ政治家の藤山愛一郎の元邸宅跡で、彼が残した立派な日本庭園が残っている話。その近くにある東京都庭園美術館は旧朝香宮邸で、世界で最も保存状態のいいアール・デコ様式の洋館。藤森照信さんの「建築探偵」シリーズも好きだったし、小金井市の江戸東京たてもの館とか、すごくわくわくする。

そういう話をしたら、上司が薦めてくれたのが、この「東京の地霊(ゲニウス・ロキ)」という本。案の定、藤森さんが解説を書いていて、鈴木博之さんという著者は、藤森さんのご同窓なんですね。藤森さんの「建築探偵」シリーズが、豊富な知識をベースにしながらどこか飄々と「建築」とそれにまつわる歴史を楽しんでいるのに比べて、鈴木さんのアプローチはもっと因縁めいていて、「地霊」という言葉の印象通り、土地の持つ霊的なパワーのようなものをあぶりだしていく。鈴木さんの方がアカデミックな文章なんだけど、アプローチの仕方は藤森さんの方がよほど科学者らしい。

それでもこの本が魅力的なのは、自分の知っている場所、土地が、単なる空間的な「場所」ではなくて、「時空」としての過去を内包した「4次元的時空間」に変貌していく面白さ。上野公園が江戸の鬼門を守るために作られた、というのは知っていたけど、京都に対する鎮守寺としての比叡山延暦寺を模倣するために、「東叡山」として池の中の弁財天まで模倣した、というのは知らなかった。江戸を長く平和の都として維持するための天海僧正の構想の下に作られた上野の山に彰義隊が立てこもり、江戸の終焉を告げる戦いが行われた、という歴史の「因縁」。大久保利通の暗殺の地が、清水谷公園として、一種の「鎮魂の場」に変貌して整備維持されていく歴史なんか、ほとんど梅原猛の「怨霊」論みたいじゃないか。

本の中に取り上げられている場所は、東京都内の13の場所なんですけど、こういう本を読むと、「もっと他の場所の歴史や因縁を知りたいなぁ」って思いますよね。そういう知的好奇心を刺激してくれる本でした。東京や江戸の庶民の暮らしについては随分色々と本を読んでいるんだけど、大阪とか神戸とかも同じような本が出ないかねぇ。結構面白いんじゃないかと思うんだけど。もしそういう本をご存知の方がいらっしゃったら是非教えてください。大阪には、「大阪くらしの今昔館」という施設があって、江戸時代の大阪の街並みが再現されているらしいけどね。一度行ってみたいなぁ。

ここでまるで違う話に飛びます。GW中に、大國魂神社の「くらやみ祭」に行く機会がありました。平安時代から東国の鎮守府として栄えた場所ですから、実に立派なお祭りです。神社の神様がこの場所に初めてやってきた事跡をもう一度繰り返す、という物語に沿って行われる神事があり、それを祝う囃子や山車、「万灯」という華やかな飾りものの巡行など、府中博物館によれば「神事と賑やかしのバランスがとてもよいお祭り」なんだって。

武蔵野、と一言で言いますけど、府中あたりは相当古い歴史を持つ街なんですね。多摩川と、武蔵野台地の崖から湧き出すいわゆる「ハケ下」の豊富な水に支えられて、関東平野の中では最も早い時期から開けた場所。縄文期から豊かな生活圏があり、大化の改新鎮守府が置かれる。「くらやみ祭」でも、「神様がこの土地に来て初めて泊まった」という「野口さん」というお宅があって、ここで神様が饗応される、という、「野口仮屋の儀」という神事があったりするんですが、実は今の府中市長も「野口さん」だったりします。なんだかすごい話だよねぇ。

これに比べて、武蔵野台地の北側は、水の便が悪くてさほど開発が進まなかった。中央線沿線の小金井だの三鷹あたりは、江戸時代に玉川上水が開通して水の便がよくなって以降、急速に開発が進んだ新興地なんです。

面白いのは、現代の我々から見ると、中央線沿線の方が、京王線沿線よりも垢抜けて見えること。実際、私の娘の通っている小学校のお母様方を見ていると、中央線沿線から通ってらっしゃる方々というのは、ちょっとお洒落な、都会派、という感じのお母様方が多い。京王線沿線のお母様方は、割と体育会系の、地元密着型の元気なお母様方が多いんですね。

京王線沿線の方が、かなり田舎っぽい感じが残っている・・・というのは逆に言えば、きちんと地元に根ざした歴史と文化を持っている、ということ。誰かが、「中央線沿線というのは、オリジナルの文化を持たない」というエッセーを書いているのを読んだことがあります。阿佐ヶ谷にせよ、三鷹や小金井にせよ、オリジナルのお祭りや地元に根ざした文化を持っていない。借り物のお祭りとしての「阿波踊り」がやけに盛ん。ところが「借り物」なのに、ものすごく盛大で本格的なお祭りに仕上げてしまう。それだけ洗練された人たちが、洗練された文化を作り上げているんだけど、いかんせん歴史が浅い。

調布に住むようになって、結構驚くのは、旧甲州街道沿いに、土蔵があるような旧家が沢山並んでいること。それこそ神様をお招きした、なんていう歴史を持っていても不思議じゃないような立派な門構えのお宅が多い。府中だけじゃなく、調布近辺のお祭りも随分本格的です。お正月の郷土神楽の奉納があったり、地域に根ざした歴史と文化がある。夕方になるとコウモリも飛ぶ田舎ではありますけど。

23区内だけじゃなくって、自分が住んでいる場所にも、「地霊」は棲んでいるのかもしれません。田中角栄の列島改造から始まった日本全国の均一化が、国家財政の破綻と共に、地域の自立、という形で次第に見直されている昨今。それをそのまま、地域格差の容認と固定化、という経済面だけの現象として見れば、「地域は見捨てられた」という話になる。でも一方で、精神面・文化面に着目すれば、近代化の中で完全に抹殺されそうになっている各地の「地霊」を復活させる、いいチャンスなのかもしれないよね。