団塊の世代ってのはさ

団塊の世代のおじさんたちには困らされることが多い。こんな風に十杷一からげに議論するのは乱暴なのは分かっているが、こういう十把一からげの議論が大好きなのも、団塊の世代の特徴だ。なので以下は、そういうものすごく乱暴な議論で、私の個人的な日ごろの鬱憤がたまっている文章、ということを前提に読んでいただけるとありがたいです。実際には、ここに書かれているような団塊の世代のおじさんばっかりじゃない、ということも、重々承知の上での暴論、とご理解くださいませ。

団塊の世代のおじさんたち(略して「団塊くん」)に困る点はいくつかある。人の話を聞かない。自分の自慢話を延々続けるのが大好き。自分の成功体験が身についてしまっているから、それ以外の方法論を知らない。知らないにも関わらず、自分の無知を認めようとせず、自分の理解できる方法論以外の方法論を頭から否定しにかかる。

先日、典型的な団塊くんが、「パワハラなんて言うけど、上司に怒られて怒られて、神経症になるくらいに追い詰められて、初めて人間は強くなるのだから、結局は怒る側の愛情の問題だ」と言っていた。これも大きな勘違いなんだけど、本人は全然気づいていない。団塊くんたちは自分たちの仕事以外に逃げ道がない所で、叩かれたり怒られたりしてもとにかく耐えて、逆にそれを反発のエネルギーにするしかなかった。それだけ耐えても、いつか必ず年功序列で出世できる、という明るい将来が描けた。今の若者には逃げ道が一杯ある上に、耐えても出世できるかどうかも覚束ない。そもそも(団塊の世代の親たちに)甘やかされて育っているから、反発するエネルギー自体が弱い。そういう人たちを「愛情を持って」怒ったところで、そのまま逃避して親元に戻っていくか、叱責を遮断して何一つ成長しないか、ただそのままつぶれてしまうか。そういう若者を育てるには、ただ怒るだけじゃない、別のやり方を考えないといけないはずなのだけど、団塊くんには、そういう時代の変化が理解できない。自分が怒られて成長したから、部下もそうあるべきだ、と思い込んでいる短絡。

話を別の議論に持っていって、論点をぼやかしてしまうのも困りもの。本人はそれで相手を「言い負かした」つもりになって、いい気になっているから余計にたちが悪い。

これも先日、電車の中での話。満員電車で、「押した」「押さない」の口論が始まって、片方は見るからに団塊くんで、片方は若者。脇で聞いていると、電車から降りる人がまだたくさんいるのに、自分が先に乗り込もうとして若者を押しのけたのがこの団塊くん。この団塊くんからすれば、「ぐずぐずしやがって」ということらしいのだが、どう考えても若者に理がある。にも関わらず、この団塊くんは、「お前が悪いんだよ」を繰り返す。挙句に、「お前携帯マナーモードにしてないだろう」「お前みたいなやつは仕事もできないんだよ」「オレは喧嘩には慣れてるぞ。やる気か」とわめきだす。若者は呆れて口をつぐんでしまったのだけど、この団塊くんは「勝った」と思ってるんだろうな。理屈で勝てないと、「ヘリクツを言うな」と恫喝して成功してきた成功体験なのかねぇ。

公共のマナーを守れない、守る気もない、というのも団塊くんの特徴。車内マナーの悪い若者ももちろんいるけど、ちょっとボーダーを越えてしまった一握りの若者に固有の現象で、たいていの日本の若者は実にマナーがいい、と私は思う。それに比べて、公共のマナーを守れない人の方が多いんじゃないか、と思えるのが団塊くんたち。それを注意すると、上の例のように逆ギレするから困る。「逆ギレする若者たち」なんて他人事のように言ってるけど、実態的には、団塊くんたちの方が、日ごろから逆ギレと開き直りを繰り返しながら、「オレは悪くない」と、上手にストレスを発散している気がする。そういう意味では生き方がうまいのかもしれんが、やっぱり公共のルールやマナーは守らなきゃだめだろう。そういう要領のいい団塊くんたちを横目に見ながら、日頃とても一生懸命公共のルールを守っている若者が、あまりのストレスに急に大爆発してしまうのが、「若者の逆ギレ」。それを社会問題にするのなら、自分たちの日ごろの開き直りと逆ギレをまず治すのが先決じゃありませんかね?

自分の正当性ばかり声高に主張するくせに、権威や学歴にからっきし弱いのも団塊くん。先日、電車のなかで酔いつぶれて独り言を言っている団塊くんに、隣に座った若い如才なさそうなOLさんが上手に相手をしてあげていて、「このOLさん、団塊くんのあしらいが上手だなぁ」と感心して見ていたら、この団塊くん、

「キミ、大学はどこ出てるの?」

と聞いてきた。さすがにOLさん、「あら、そんなこと教えないとダメですか」なんて軽くいなしていたけど、出身大学聞いてどうする気なんでしょうねぇ。酔っ払ってぐだぐだになっても、女性の出身大学を気にする団塊くんって、かなり浅ましいと思う。

戦後の高度成長期、成長という単一の価値にのみしたがって、がむしゃらに生きていけば出世できた団塊くんたち。年功序列という成長の未来が簡単に描けた幸福な世代。焼け野原を復興しなければ、という強烈な使命感を持った戦中派のカリスマ指導者に、ただついていけばよかった無個性の世代。そういう彼らの価値観や世界観が、今の社会では適応できないことが分かっていても、自分の成功体験に縛られた彼らは、抵抗勢力になって必死に古い価値観を維持しようとする。団塊くんたちが大量に退職するといわれる2007年。これで多少なり、社会の風通しがよくなればいいんだけど、そうなると今度は、この団塊の世代に甘やかされて育った団塊Jrたちが真ん中に出てくるんだよなぁ・・・頼むぞ、若者たち。