大船渡へ行ってきました(そのご)〜No.3ギャラリー〜

大船渡でのたくさんの思い出の中で、最も輝いている思い出は、ガレリア座の有志で開催した、「蔵しっくこんさぁと」。気仙地方を代表する銘酒「酔仙」で有名な水野酒店が、盛町の商店街の中にあり、その敷地内にある使われなくなった古い酒蔵を改造したギャラリースペースが、このコンサートの会場になりました。酒蔵の床をコンクリートの打ちっぱなしにした、土の香りのする暖かい空間で、地元の人たちが送ってくれた気持ちのこもった拍手は、今でも私の心の宝物です。

今回の大船渡行きで、何よりこのコンサート会場、「No.3ギャラリー」の様子を見たかったのです。大正年間に建てられた古い酒蔵(第三号蔵、だったことから、No.3ギャラリーという名前がついた)ですから、地震の揺れと津波の浸水で、相当被害を受けたはず。以前も地震で壁が崩れ、しばらく閉鎖していたことがあったと聞いていたので、正直、最悪の状態も覚悟していました。夢商店街から、どきどきしながら盛商店街へ戻り、水野酒店を訪う。


No3.ギャラリーは無事でした!!


No3.ギャラリーに隣接する古い蔵を取り壊して、周囲はむしろすっきりと開放感あふれた感じになっています。この写真の右手に見えるのが、No3.ギャラリーの主、Iさんの事務所。Iさんはお留守で、中を覗くことはできなかったのだけど、古い酒造会社の事務所をそのまま再利用した、とても趣のある建物。これも無事。


Iさんのお父様に、ギャラリーの中を見せてもらいました。あの暖かい空間がそのまま。本当によかった〜。

Iさんのお父様は多くを語りませんでしたが、ギャラリーにも水は押し寄せ、床上60センチほど浸水したそうです。でも、蔵の中のコンクリートはきれいに掃除されて、先日も展覧会が開催されたそうな。

大船渡の商業地区が壊滅した後、主たる商業圏が内陸に移ってきているのだけど、盛町の古い商店街を飛び越えて、内陸にあるホームセンターなどの大規模量販店に人が流れている、という問題もあるそうです。もともと盛商店街は結構さびれてシャッターを下ろしている店が多かったし、震災の被害が軽微とはいえ、街のほとんどが床上浸水という相当の被害があったことも足を引っ張っていて、大船渡の中心街になる所まで行かないらしい。都心と大船渡を結ぶけせんライナーの停留所は、盛町のサンリアの前にあるんだし、商店街の近くに大きなホテルとか、人が集まる場所ができればいいのにね。都会からの訪問者にとっても便利だし、商店街だって活性化するかも。

震災直後、全壊した家屋の二階から救出された大船渡のおじいさんが、報道のマイクに向かって、「大丈夫です。また新しく作りましょう!」と笑顔で語りかけた映像が、You Tubeで話題になっていました。地元の人たちの復興にかける意気は衰えていません。高齢化したとはいえ、逆に、おじいちゃんおばあちゃん世代が結構元気がよくて、若い世代が疲弊している、という話も聞きます。実際に手や足を動かすのは若い世代だからね。全国の若者の三陸への大移動が起こらないかなぁ。逆にそういうトレンドを起こすような政策は取れないもんだろうか。三陸に住む35歳以下の人は消費税0%とかさ。そういう思い切った政策を政府に期待できない以上は、僕ら一人一人が自分で行動を起こすしかない。東京の若者よ、けせんライナーに乗って、いざ、三陸へ!