一つでも多くの喜びを

今日で今年のこの日記の最終日。毎年やってますけど、今年も、この1年間にあった出来事、インプットの中から、3つ選んでシメにしたいと思います。自分の舞台に対する視野が格段に広がった、埼玉オペラ協議会の「カルメン」とか、我々夫婦、特に女房の、歌に対する、芝居に対する意識が、一つ違うレベルに踏み込んだような気がした、ガレリア座の「モンマルトルのすみれ」とか、漆原直美さんという、本当に素敵なヴァイオリニストに出会うことができた「蔵しっくこんさぁと」とか、色んなイベントがあった1年だったんですが、その中でも、以下の3つを取り上げてみたいと思います。
 
1つめは、久しぶりの公演になったGAGの第六回公演「TAKE FIVE」のこと。GAG公演は不定期に開催していて、一つ一つの公演はそれぞれに思い出深いものです。でも今回は、地元調布市での開催だったこと、それも、GAGのコンセプトに本当にしっくりくる、映像シアターという場所で開催できたこと、が、自分としてはとても大きな収穫でした。

これまで、GAGという団体は、我々の出身母体でもあるガレリア座の友人たちを中心にして支えられてきました。ガレリア座の友人がスタッフになってくださり、観客にもなってくださることで、過去の公演は成り立ってきた。でも、今回のような地元開催だと、娘のご学友つながりといった、調布近辺の人脈が、もう一つの柱として活動を支えてくれる。そういうサポーターを増やしていくことって、こういう活動では本当に大事なことだと思うんです。

今回の公演で、調布発信の一つのパフォーマンスグループとして、地に足つけた安定的な活動をしていく、一つの地盤が出来たような気がしています。これからも、定期的に、質の高いパフォーマンスを発表していくことで、これまでGAGという団体を支えてくれた方々を軸に、さらに、調布近辺のサポーターを増やしていくことができれば。もちろん、そのためには、これまで以上にクオリティの高い舞台をお届けし続けていかないとだめ。来年以降も、GAG公演を続けていきますので、サポーターの皆様、今後ともよろしくお願いいたします!
 
2つめは、娘の小学校入学。我が家にとって、今年最大のイベントの一つでした。これを機に、裏庭整備も含めた大幅な模様替えを敢行。朝寝宵っ張りだった生活パターンが朝型に変更されるなど、我が家の生活スタイルは大幅に変更になりました。

そういう生活の変化ももちろんですけど、何より、小学生になった娘の日々の成長や、小学校での様々な出来事が、幼稚園時代とは全然違う新鮮な驚きや喜びをくれるようになりました。バス通学を始めたこともあって、娘の周囲の世界が今までよりもずっと広がった。それに合わせて、娘の知恵も、身体も、今まで以上に大きく成長している気がします。新宿オペレッタ劇場の練習場でも、昔はシッターさんと別の部屋で遊んでいたのに、今では練習場の隅っこで、ニコニコ振り付けを眺めていたりする。タチェットのソリストさんたちと、お友達のように普通のお話をしている。背丈もすくすく伸びて、急速に、足が長くて顔のちっちゃい最近の女の子の体型になりつつあります。今のところ、胴長短足デカ顔の父親のDNAは邪魔していないようである。このまま大人になるまで邪魔するんじゃないぞ。
 
3つめは、天使になったFちゃんのこと。

今年1月に天使になったFちゃんは、この日記にもしょっちゅう登場しているんだけど、Fちゃんのおかげで、私の世界観は大幅に変わった気がしています。世界がどれだけ不条理に充ちているか。その不条理に向き合う我々人間の力が、どれほど無力か。どれほど世界は、怒りや悲しみで満ちているか。幼い命が、そんな不条理に踏みにじられるニュースが重なるたびに、Fちゃんが私の中で、私にささやくのが聞こえる気がする。「悲しまないで、怒らないで、笑って、笑わせて。」と。

世界は不条理だからこそ、悲しみと怒りに満ちているからこそ、我々は、喜びを、楽しみを、美しさを、どれだけ生み出すことができるのか。人間として生まれてきて一番大事なことは、一人でも多くの人々に笑顔を届けることなんだ、ということを、Fちゃんは我々に教えてくれました。Fちゃんは、たぶんこれからもずっと、娘の守護天使として、我々家族の心の中に生き続けてくれると思います。Fちゃんを娘の守護天使だと思っているのは、我々家族の勝手な思いいれではあるけれど、でも確かに娘の中には、今でもFちゃんが生きていて、「このお弁当箱はね、Fちゃんとおそろいなんだよ!」なんて、現在形でお話してくれる。そのことが、Fちゃんがいつも我々の心の中にいてくれることが、どれだけ我々家族に、前向きに生きていく力を与えてくれていることか。

人間が生きていること、一日一日成長していくこと。いずれ必ず、死という別れが訪れるとしても、その日が来るまでの一日一日は、全て奇跡の一日だということ。我々が生きていることは、決して、当たり前のことじゃない。むしろ、死の方が、悲しみの方が、怒りの方が、不条理の方が、当たり前の状態なんだ。だからこそ、我々が生きていること、笑えること、喜べること、楽しめることは、実はものすごく大変な、まさに奇跡に他ならないんだ。そうやって僕らは一日一日、奇跡を生み出し続けるために、生きているんだ。

今年あった、様々な悲しい出来事を越えて、来年は、一つでも多くの喜びが、皆さんの生活を明るく照らしますように。皆様、よいお年をお迎えください。