「アンダーグラウンド」〜やせ衰える物語〜

先日TVのニュースを見ていたら、産婦人科医がいなくなってしまった隠岐の病院に着任した産婦人科医のおかげで島民がとっても喜んでいます、というニュースの直後に、横浜の掘病院の無許可診療のニュースが流れました。どうやら、ニュースの編集をしたヒトの頭の中には、

「離島の医療環境の悪化を救うべく立ち上がった人道的な素晴らしい産婦人科医」

がいる一方で、

「無許可診療を常態的に放置している無責任な産婦人科医」

もいる。みんな、もっと人道的な素晴らしい産婦人科医になってほしいですよね、というストーリーにまとめようとした模様。でも、ニュースを見ている我々としては、そのステレオタイプなストーリーの浅はかさと、そういう浅はかなストーリーが、どれだけ現場の産婦人科医のやる気を失わせているか、という点に思い至らない想像力の欠如に、いささか呆然としました。

離島診療のために我が身を犠牲にした産婦人科の方には、本当に頭が下がるし、これだけ産婦人科医を巡る環境が悪化している中で、あえてこの職業を選ぶ医師の方々は本当に尊敬するべきだと思う。でもね、だからといって、医者という存在を、高潔で人徳溢れて完全無欠で24時間患者のことだけ考えて我が身を犠牲にする人間、と規定しちゃったら、医者のなり手なんていなくなっちゃうよねぇ。出産事故を巡る刑事訴追の話なんか聞いてもさ。「全ての産婦人科医は、自分の人生を犠牲にする覚悟を持つべきだ」。「全ての産婦人科医は、確実安心なお産を実施するべきで、一つでも出産事故を起こしたらそれは産婦人科医の責任であって刑事訴追されるべきだ」。「助産婦に無許可診療させるなんて、法律違反を侵す産婦人科医なんてのは人非人だ」…あんたら、産婦人科医を仙人か何かだと思ってないかい?

医者だって人間だし、普通に家庭を持って普通に生活したいわけですよ。もちろん、医師、という職業を選んだ瞬間、24時間、何が起こっても不思議じゃない、という覚悟を持たなければならない、それは確か。私も身内に医者がいますから、そのあたりは目の当たりにしています。いつでもどこでも鳴り響く携帯から、ひっきりなしに患者さんや病院のスタッフに指示を出している姿を見ると、本当に頭が下がります。でもだからっていって、離島のお産を全部1人で背負って、睡眠時間2〜3時間でふらふらしながらお産を見守る医師を、「素晴らしい、これこそ医者の鑑だ」なんて手放しで賞賛するのもなんだかなぁ、と思う。そういう過酷な環境を、なんとか改善してあげるために、周囲ができることはないのか、って、まず考えるべきじゃないの?そんな過酷な環境の中で働く産婦人科医が異常分娩で患者を死なせてしまったら、「人徳者であるべき医者が患者を死なすとは何事だ、医療過誤だ」とすかさず刑事訴追するってのは、一体何なわけ?

横浜の無許可診療だって、人手不足の結果としてのすごく厳しい勤務体系の中で、必死にやってる産婦人科医師の職場環境を整え、少しでも安全なお産を実現するための苦肉の策だったかもしれないじゃん。実際、産婦人科医の方のHPなんかを覗いてみると、今回「違法」とされている行為自体、「なんとか認めてくれないと、産婦人科医の活動自体がなりたたない」と、産婦人科医の方から再三、厚生労働省に改善を求めているにも関わらず、役所が一向に動こうとしない行為だった、なんていう話もある。そういう多層的な分析をなぜマスコミはやろうとしないのか。

なぜか、といえば、その背景にあるのは、「いいじゃん、医者なんて人種は、高い給料もらって、一般庶民よりも知的水準も高い、いわゆる『強者』なんだから、好きなだけ叩けばいいんだよ」という、日本人特有の「ひがみやっかみ」の精神のような気がする。その薄っぺらい正義感と浅はかなストーリー。産婦人科医=「強者」の肩を持つよりも、離島の人々とか、無許可診療を受けた「被害者」である患者=「弱者」の肩を持つストーリーの方が、マスコミとしては一般受けする、というステレオタイプな貧困な発想。

本来なら、少子化対策が叫ばれる中で、産婦人科医の数が減っている現状を分析し、産婦人科医が増えるためにどうすればいいか、産婦人科医が仕事しやすい環境、医者を志す人が産婦人科医になりたいと思う環境を作るにはどうすればいいのか、というストーリーを書かねばならないはず。子供を安心して生める環境を整えるために不可欠な産婦人科医。その数が減っているという現状を変えるために、どんなストーリーを書くのか、という議論を進めないといけないはず。にもかかわらず、相変わらず、「自分の人生を投げ打つ覚悟を持った素晴らしい産婦人科医の方は現われませんかねぇ」と、聖人さまのような産婦人科医を待ち望んで神頼みのようにため息をつくストーリーしか語れないというのは、これはマスコミが脳死状態に陥っているとしか思えない。

なんでこんな事を言い出したのか、といえば、以前読んだ村上春樹の「アンダーグラウンド」を先日再読読了したから。その中で、「オウム真理教というグロテスクな物語世界」に没入してしまった若者たちを、「本当に我々は『自分たちとは全く異なる異質なもの』と切り捨てることができるのか?」と、村上さんが問いかけていたのです。「我々自身も気付かないうちに、外部から与えられた浅薄な物語に没入していないか?自分で物語を紡ぎだす力を失っていないか?」

産婦人科医を巡るマスコミの報道姿勢は、まさに、「自分で物語を紡ぎだそうとしない」、外から与えられた恐ろしくステレオタイプな物語に満足しきっている感がある。先日のシュレッダー事故の報道にしてもそう。オウム真理教の洗脳状態に陥った若者達のメンタリティーと何が違うって言うんだ。少しばかり慰められるのは、ネットという草の根の発信源が、マスコミのそういったステレオタイプ報道に対する一定のアンチテーゼとして、様々な議論を発信していること。マスコミの言うことの全てを、常に疑え。その浅はかさが生み出す有形無形の暴力に対して、常に戦え。それが現代社会における我々に課せられた、自分自身の物語を守るための基本的な視点なんだと思います。本気でやると、ほんとに疲れることだけどねぇ。色んなバッシングだの厳しい職場環境とかあるだろうけど、産婦人科医の方々には本当に頑張ってほしいなぁ。