朝青龍が優勝しちゃった途端にマスコミのバッシングが腰砕けになっていて笑ってしまう今日この頃。そもそもマスコミの論調の反対の道を行く、というのが我が家の基本ポリシーなので、今回も朝青龍をかなり応援してたんだよね。とはいえ、彼のファンになる、という気分にはならない所が、朝青龍の朝青龍たる所以だと思うんだが。
土俵上の態度の悪さ、品格のなさ、行状の悪さ、色々言われているけど、ポイントはあの顔だったりするんじゃないかなぁ、なんて思います。同じように憎まれ役になっていたかつての横綱を並べてみれば、北の湖にせよ千代の富士にせよ、どことなく悪役顔だったよねー。朝青龍も、貴乃花とか白鵬くらいいい男だったら、全然評価も変わってたんじゃないかって気がする。
といいつつ、朝青龍の優勝というニュースを見て、改めて、やっぱり浅田真央というパフォーマーはすごい、という気持ちを新たにする。真央ちゃんファンには殴られそうだな。最初に謝っておこう。並べちゃってすみません。お許しください。
と、暴論になるのを承知で、朝青龍と浅田真央、という二人のパフォーマーを並べてみたりする。すみません。共通するのは「圧倒的強さ」。人の度肝を抜くパフォーマンスで他を圧倒する、という意味で、朝青龍と浅田真央は共通している。でも、今季の浅田真央の戦いについては、もう一つ、朝青龍との共通項がある、という話があって、浅田真央のライバルであるコストナーを擁するイタリアが、国際スケート連盟の理事長を輩出している関係で、今季の浅田真央の演技に対する判定が非常に厳しくなっている・・・という噂があるそうな。
今季、回転不足を取られたトリプルアクセルのいくつかは、「なんでこれで回転不足?」というものだった・・・という話もあるらしいし、キム・ヨナ選手の得点が不自然なほど高い、という話もあるらしい。真偽のほどは良く分からないし、難易度の高い回転技が成功した時の基礎点を上げて、失敗した時の減点を大きくした・・・というのが今季のルール改正なので、必ずしも、浅田真央選手に一方的に不利なルール改正、という話ではない模様。昔、日本スキージャンプ陣がルール改正で一気に不利になった・・・という話とはちょっと違う気もする。
とはいえ、浅田真央に対して国際スケート連盟がバイアスのかかった判定を下している、というのが事実だとしたら、マスコミや横綱審議会が寄ってたかって潰しにかかってきたプレッシャーをはねのけて優勝した朝青龍と、共通項があるともいえるよね。要するに、試合場の外で渦巻く別の思惑によって加えられる圧力を、試合場の中で見せるパフォーマンスの結果ではねのけていく、その潔さや迫力。スポーツ根性ドラマではよく出てくる設定ではあるのだけど、二人の姿にはそういう暑苦しい精神論とは別の、もっと爽やかな天賦のものが感じられる。朝青龍の天才的な運動能力。浅田真央の「努力する才能」。神に与えられた才能が、ことさらに精神論や根性論を振り回すマスコミの思惑をぶっ飛ばしてしまう爽快感。圧倒的なパフォーマンスが、圧倒的に不利な状況を、まさに圧倒的に凌駕してしまうカタルシス。
もちろん、浅田真央と朝青龍には(容姿以外にも)決定的な相違、というのがあって、それは、浅田真央という人が持っている生まれながらのノーブルな雰囲気なんだと思う。以前、この日記で、浅田真央と長島茂雄がそのテンポ感において共通している、みたいなことを書いたことがあったのだけど、長島さんも立っているだけでノーブルなオーラが漂っているよね。
横綱の「品格」と言われるものが、このノーブルさ、だとしたら、それを朝青龍に求めるのは酷なのかもしれないなぁ。そういうたたずまいというか、雰囲気のようなものっているのは、勉強したり訓練したりして身につくものじゃなくって、人が生まれながらに、その生活環境の中で自然に身に着けてしまうもの、という気がする。白鵬だって貴乃花だって育ちのよさがにじみ出ている感じがするもんなぁ。
なんだかとりとめのない文章になってきましたね。朝青龍の強さに驚きながら、同じように圧倒的な強さと天性の努力で逆境をはねのけつつ、決して「品格」を失わない浅田真央、というパフォーマーに対して、改めて賛嘆の感を強くする。真央ちゃん頑張って欲しいなぁ。しかしこれで朝青龍が来場所から休場したらさらに面白くなるんだがなぁ。わはは。