シュレッダーってのは危ないんだよ。

最近話題になっている、シュレッダーで指を怪我する子供の事故の話。事故に遭われた方には本当にお気の毒で、同じように子供を持っていて、かつ自宅に家庭用シュレッダーがある我が身としても、他人事とは思えない話題です。でも、なんかひっかかりもあるんです。

このニュースを取り上げているTVの論調などを見ると、一様に、シュレッダーのメーカー側が、子供が誤って指を入れてしまう可能性を想定していなかったことに焦点を当てた論調。ただ、一方的にメーカーを責めているわけではなくて、メーカーとしても、確かに想定外の出来事だっただろう、という点には理解を示しながらも、「でもやはり、早い時期に対応を考え、指が入れられないような設計に変更するべきだったでしょう」という論調です。

その論調にすごく違和感を感じてしまうんですよね。まず最初に言うべきなのは、「ですから、幼いお子さんがいらっしゃって、ご自宅に事務用シュレッダーがあるご家庭では、お子さんをシュレッダーに近寄らせないように、充分注意するようにしてくださいね」という話じゃないのか。「シュレッダーってのは危ないものなんだよ」という当たり前のことを、きちんと子供に教えなければならないですよ、というのが、このニュースから得るべき一番大事な教訓なんじゃないのか。

事故に遭われた方は本当にお気の毒だし、そういう方の苦痛や苦労や悲しみをムダにしないために、一番必要なことは、「みんな気をつけようね」という意識を生み出すことだと思うのだけど、それがいきなり、「メーカが悪い」「行政が悪い」という一種の「犯人探し」になる感覚が、まずキライ。更に言えば、そういう感覚が一般的になっていることで、「私は悪くない、社会が悪い、環境が悪い、他人が悪い」という責任転嫁が、倫理観の基礎に植え付けられてしまっている感じが、ものすごくイヤ。

プールという、みんなが安全に遊ぶことができるはずの場所で、安全に囲われているべき給水口が開いて、ものすごい勢いで水を吸い込んでいた、なんていう話とは、わけが違うと思うのです。シュレッダーというのは、物を「切る」道具です。包丁やナイフと同じ。そもそも危ないのが当たり前。ヘタに使えば、大人だって怪我する道具。便利だけど、危険な道具なんです。それで事故が起こったのであれば、「こんな事故が起こりました。皆さん気をつけましょう」というのがまず先にあるだろうがよ。ナイフや包丁をそのへんに放り出しておいて、子供が怪我したからって、ナイフや包丁のメーカーが、「なんでそんなに切れる包丁を作ったんだ」って責められますか?

今日、「バカの壁」を読み終えて、何度となく激しくうなずいてしまったのだけど、養老さんが何度もおっしゃっているように、全ての感覚から「身体性」が失われているのが最近の風潮。全てがバーチャルなレベルで処理されてしまう世界に、突然「痛み」という形で自分の「身体」が意識されると、「そんなハズはない」「こんな痛みがあるはずはない」という感覚が先に生まれてしまうのかもしれない。痛みなぞあるはずのないバーチャルな世界で殴りあいをするゲームをしていたのに、突然痛みを感じれば、そのショックも大きいし、「そんなばかな」と、自分以外のものに原因を求めようとするでしょう。

でも、人を殴れば痛いんです。ナイフで指を切れば痛いんです。そして、そういう危ないものは、人間として生きていく上で、決して避けて通れないものなんです。避けて通れないからこそ、注意して使わねばならない。「ナイフの使い方を知らない人間は、大人とはいえない」という文章を、どこかで読んだことがあります。便利なものだけど、便利なものには必ず危険が伴う。だからこそ、その危険を承知した上で、その道具を使っていかないとダメ。実際に自分の身体で感じる「痛み」を理解しなければダメ。道具を「使いこなす」というのはそういうこと。

私の住んでいる調布市では、味の素スタジアムの脇にある基地跡地の再活用が議論されているそうです。その中で、「今ある木立を活かした空間を作って欲しい」という声が多い、というニュースを見ました。そんな市民の声の中で、

「子供が安心して木登りなどができるような場所にしてほしい」

というコメントが紹介されていて、女房ともども吹き出してしまった。

「安心してできる木登り」なんてありません。木登りってのは危ないものです。一つ間違えば、生死に関わる危ない遊びです。危ない遊びだけど、そういう遊びの中で、なんども危ない目や痛い目に遭うことで、身体能力が高まっていく。実際に自分の身体で、痛みや、高所に身を置く恐怖を実感することで、身体能力が高い子供は、逆に、そういう危険を回避する手段を身に着ける。言い換えるなら、「死なないための遊び」なんです。自分の身体で危険を感じとりながら、自分の命を守る術を身に着ける遊び。だからこそ意味のある危険な遊び。

そういう危険な遊びを子供にさせたい、というのなら、親はきちんと子供の側にいて、きちんと注意してあげなければダメ。「一人で木登りをしちゃだめだよ」ということも言わねばならないし、どうやって木登りをするのが安全なのか、きちんと指導してあげなければダメ。要するに、「安心して木登りができるような環境を作れ」なんて、行政という他人に任せることができるようなレベルの話じゃないはず。

自分自身の身体というリアリティを忘れてしまう頭でっかちさ、その上で、リアルな危険に対して自分を守る術を学ばせようとせずに、危険の回避責任を、企業だの行政だのに丸投げしてしまう姿勢。今回のニュースを見ながら、そういう他力本願な安易な視点を感じてしまって、すごく不愉快でした。我が娘には、「シュレッダーってのは危ないんだからね。使うときは気をつけるんだよ」と言い聞かせねば。