大久保混声合唱団第32回演奏会〜表現することへの執着〜

昨日、女房が所属している大久保混声合唱団の第32回演奏会を、ステージマネージャとナレーションでお手伝いしてまいりました。

指 揮:辻 志朗 / 田中 豊輝
ピアノ:川井 敬子 / 服部 真由子
第一ステージ:Johannes Brahms 作曲 「Funf Gesange Op.104」
第二ステージ:新川 和江 作詩/鈴木 輝昭 作曲 「大地はまだ」
第三ステージ:三善 晃 編曲 「唱歌の四季」
第四ステージ:山本純ノ介 セレクトステージ
 「光葬」   より 「風の交替」
 「心象の海」より 「海よ、おまえは残るだろう」
 「季霊」   より 「葉が枯れて落ちるように」
 「万象」   より 「蕃熟の大地」

という構成でした。

大久保混声合唱団という団体とのお付き合いは本当に長いのですけど、毎回、その声の色合いの深み、柔らかさ、表現力の幅の広さには驚かされます。特にメイン・ステージになった山本純ノ介作品などは、一つ間違うとかなり暑苦しい、青臭い曲になってしまう感じもする曲なんですけど、非常に淡々とクリアな響きを鳴らすことで、かえって曲自体の熱さ・若々しさが客席にきちんと伝わっていくような感覚がありました。

面白かったのは、ステージリハーサルのときと、本番のときで、まるで演奏の熱が違うんですね。本番に向けての団員さんそれぞれのコンディション・コントロールが一つの大きな要因だったようです。第二ステージから第四ステージまで、かなり規模の大きい曲が続くので、ステリハの段階でかなりセーブしていたみたい。

第二ステージを指揮された田中先生(先生になっちゃったねー田中くん)に言わせると、これは、素人はあんまりマネしちゃいけないことらしいんですけどね。セーブするにはそれなりのテクニックが必要(ノドで声をセーブするとかえって疲れてしまう)だし、経験が浅い方で、自分のフル・ボイスが会場にどう飛んでいくのか、というイメージがきちんとつかめていない人だと、本番前に一度きちんとフル・ボイスで会場の響きを確認しておかないと、本番になって突然濁った大声でがなってしまう、ってこともある。リハーサルで慎重になる、というのは、かなり経験をつんだ人じゃないとちょっと「危ない」ことなんだそうです。

でも、私はどちらかというと、大久保混声合唱団のいい意味での「アマチュアリズム」というか、若々しさも一つの要因だったんじゃないかな、と思って、少し嬉しくなりました。アマチュアって、リハーサルと本番で全然熱が違うものじゃないですか。それは何より、本番の客席を埋めたお客様を見た瞬間、「よっしゃー、伝えてやるぞ!」という意欲と熱気が生まれてくるから。でも大久保合唱団はやっぱりタダモノではなくって、普通のアマチュア合唱団だと、その意欲や熱気が結構空回りして、本番で破綻することが多いんだけど、それをきっちりと破綻なくまとめてくる。意欲や熱とテクニックの絶妙なバランス。

ステージマネージャとしては、色々と例によって目配りが利かない部分があり、団員の方や、サポートの方に助けていただきながらの舞台でした。本番当日というのは、こちらが想定していなかった段取りが結構追加されてきますから、その都度、「じゃ、こうしよう」と即断して進めていくことが大切になります。そういう意味では、その即断がうまくはまった瞬間と、「これは判断誤ったなぁ」と反省する瞬間が交互に現われるのが本番ステージの常なんですね。

今回もいくつか、「判断誤ったなぁ」という局面が出てきちゃって、やっぱりオレって本番に弱いんだなぁ、と反省しきり。こういう所が、意欲とテクニックのバランスの悪いところだったりするんですよねぇ。それぞれに言い訳はあるんですが、一応、自分の後々の教訓のために書きとめておきます。同じステージマネジメントに関わる人がもしこのブログを読むことがあったら、是非参考にしてください(って、そんなことあるのか?)。
 
・緞帳を下ろすタイミングで、指揮者譜面台の位置替えを自分でやったこと。

合唱団の演奏会では、緞帳は下げず、明かりの上げ下げだけで舞台転換することが多いのですが、今回は、演出上の都合もあり、「やっぱり緞帳下げた方がカッコイイ!」となりました。この場合、一番困るのは、指揮台と指揮者譜面台の扱いです。

緞帳の位置というのは、思ったよりも舞台面の奥にあります。なので、指揮台を舞台面の最前面に持ってくると、譜面台と指揮台の両方が緞帳の外に取り残される形になります。ステマネとしては、緞帳の上げ下げが自由にできるので、これが一番楽。

でもそうすると、指揮者の先生が結構怖いんですよね。一歩後ろに踏み誤ると客席に転げ落ちちゃう。ピアノと合唱団との距離感も遠くなるので、一体感が出ない。今回も、直前になって、「やはり指揮台を少し奥に置こう」ということになりました。

そうなると、指揮台は緞帳の下敷きにならない場所になんとか設置できるんですが、譜面台が緞帳の位置の真下になってしまう。緞帳の上げ下げのたびに、譜面台の位置をかえないといけない。

選択肢としては、①団員の方一人を、譜面台移動係にして、タイミングを見て動かしてもらう、②ステマネが袖から出て行って自分で動かす、という2つの選択肢があったのだけど、アンコールの指揮者の出入りのタイミングを見計らう、というのはステマネが判断するしかないし、とにかく今回、舞台上に立っている団員さんには、極力演奏に集中してもらって、その他のことに気を使わせたくなかったんですね。なので、本番直前になって、②を選択することに決める。

でも、これが結構、間が悪かったんです。第三ステージ、きれいに着替えた団員がずらりと並んで、お客様がおおっとどよめいて拍手が来たりしている最中に、私がノコノコ出て行って譜面台の場所を移動しないといけなかったり。最後のアンコールに至っては、志朗先生が退場されて、私がヒョコヒョコ出て行って、「あ、これでアンコールは終りなんだな」と、お客様から失笑が出たくらい。

多少団員さんに無理を言っても、譜面台移動の係りを決めておけばよかった、と反省。幕が開いて、さぁ、指揮者が出てくるぞ、というタイミングで、譜面台移動のステマネが出てくる、というのはやっぱりよくないですよね。ある程度それも見越して、幕が上がっている途中でさっさと出て行って事務的に処理する、という作業にしたんですけど、これは今後の反省点です。
 
山本純ノ介先生の紹介のタイミング

山本純ノ介先生がいらっしゃっているので、演奏終了後、ご紹介します」と志朗先生に言われたのが本番直前だったのですが、それ自体は予想していたので、「分かりました」と承知。その後で、はた、と考えた。「どのタイミングで紹介してもらおうか?」アンコールの一曲目が終わった時に、志朗先生に少し喋ってもらうことは予定していたので、その時に、山本先生を紹介していただく、というのと、山本作品ステージが終了した直後に紹介いただくのと、どちらがいいか。

これも、本当に直前になって、「山本ステージ終了後にご紹介いただこう」と決めました。アンコールの1曲目が、それなりに存在感のある曲だったので、山本ステージの興奮が最高潮になっているステージ終了直後の方が、作曲者の紹介のタイミングとしてはいいだろう、と思ったのです。

実際、その判断はある意味正しくて、山本先生への賛辞の拍手で会場はとても盛り上がったのですが、その後、志朗先生が退場されたら、アンコールにつながるはずの拍手が止んでしまったんですね。演奏に対する賛辞の拍手が、一旦、作曲者への賛辞の拍手に変わってしまって、それが演奏に対する拍手に戻らないままになってしまった。志朗先生が機転を利かせてくださって、再入場の時にちょっと客席を煽るようなポーズで笑いを取ってくれて、拍手が復活して、そのままスムーズに流れていきましたけど、拍手が止んでしまった時には全身から冷や汗が出ました。別に、アンコールが終わってからでも、うまくやれる方法があったよねぇ。

演奏会においては、あくまでも演奏者が主役。演奏者の演奏を活かすためにどうしたらいいか、客席の興奮や熱がそのままうまく持続していくように舞台を流していくにはどうしたらいいか、というのが、運営側の最重要課題。お客様に、きちんと演奏者の「表現したい」ことを伝えるために、運営の部分の不手際でお客様の注意力や集中力を殺ぐわけにはいきません。いくつもの演奏会のお手伝いをしてきましたけど、どの演奏会も反省点ばかり。いつまでたっても、100点満点のマネージングはできません。それはそれで、一期一会の演奏会のお手伝いの醍醐味でもあるんですけどね…。