上手な人とやる幸せ

なんだかものすごく単純なタイトルにしちゃいましたけど、歌の練習にせよ、お芝居の練習にせよ、上手な人と一緒にやることって、すごく幸せな経験だと思うんです。優れた指導者の下で練習する、というのも幸せなことではあるのだけど、優れた表現者と一緒に舞台表現をすることの幸せの方が、自分の技術を磨く上では大事な経験なのじゃないかな、という気がする。

今、7月の大船渡でのサロン・コンサートのために練習を重ねているのですが、今回、伴奏陣に、プロの方をお願いしたのです。新宿オペレッタ劇場のレギュラー伴奏ピアニスト、児玉ゆかりさんと、芸大の院を卒業して各地でご活躍中のヴァイオリニスト、漆原直美さん。このお二人と一緒に音楽を作っていく過程が、ものすごく楽しい。

児玉ゆかりさんは、昔から「ガレリア座」の連中とは飲み仲間で、お酒の席でも本当にキュートで素敵な方なんですが、ピアノがまたパワフルで、歌をきっちり読んでくれるし、リードしてくれる。素晴らしい安定感。漆原さんは、2チャンネルでファンサイトが立ち上がっているくらいの美人ヴァイオリニストなんですが、美人の上に素晴らしいテクニックとセンスを持ってらっしゃる。最初の合わせで、楽譜をぱっと見て、即座に、その楽曲のフレーズ感、全体の構成をつかんでしまうセンスと、それをクリアで豊かな音色で表現してしまうテクニック。実際、漆原さんのヴァイオリンのドライブ感のおかげで、「マリツァ伯爵令嬢」のチャールダッシュの三重唱が、ものすごくパワフルな楽曲に仕上がってきました。

お二人ともプロの演奏家なんだから、お上手なのは当たり前でしょ、なんてイジワルなことを言う人もいるかもしれませんけど、プロの演奏家だってピンキリです。特に、今回のように、色んなオペレッタの全然知られていない無名の曲、しかも材料はピアノ譜だけ、という状況から、楽譜の中に埋もれたヴァイオリンのあるべき旋律を導き出してきて、見事な伴奏に仕上げてしまう、というのは、プロの演奏家にだって相当難しい。しかも、オペレッタという、単に楽譜を弾きこなせばいい、という材料じゃなくて、「粋」とか「匂い」のようなものを表現しないといけない世界で、あっというまにそういう世界を作り上げてしまうというのは、よっぽどセンスのいい人じゃないとできない芸当だと思う。先日の練習では、「幕間にやるモンティのチャールダッシュ、ピアノ伴奏譜を忘れちゃいましたぁ」と漆原さんが言ったら、児玉さんが、「こんな感じだっけ?」なんて言いながら、二人でいきなり楽譜もなしに一曲ざあっと仕上げてしまいました。弾きこなしてしまう漆原さんのヴァイオリンの音色も素晴らしいけど、楽譜なしで即興で伴奏をつけてしまう児玉さんもタダモノじゃない。この二人の演奏家と混じって伴奏陣に加わっているガレリア座クラリネット吹きのS君も、「こんなすごい方々と共演できるなんて、ほんとに嬉しい」と、興奮してました。

こういう優れた伴奏者と一緒に演奏することって、歌い手にとっては一つの試練でもあるわけですけど、試練というよりもやっぱり至福の時間です。上手な演奏家と一緒にやると、自分がものすごく上手になったような気がする、とよく言いますけど、別に自分の声やフォームが劇的に変わっているわけじゃない。でも多分、自分が技術的に身につけられていない間合いとか、呼吸のタイミングとか、拍感、フレーズ感、といったところで、上手な演奏家の方の技術にうまく「乗せられ」て、自分の実力以上のパフォーマンスができるようになるんだろう、と思う。でも、そこで身に着けたフレーズ感とかって、きっと他の楽曲をやるときにも応用できるし、きちんと自覚して自分のものにすることができれば、素晴らしい財産になるんです。

マチュアが陥りがちなのは、こういうプロの高度なパフォーマンスに対して、完全に受身になってしまった上に、「乗せられた」成果を自分の財産にできないこと。興奮を一時的なものにせず、「自分に何が起こったのか」「プロの人からもらったものは何なのか」ということを、きちんと自分の中で客観的に分析しないと、自分のものにならない。もっと言えば、伴奏者がぶつけてくるものにたいして、演奏者の方も自分なりのフレーズ感、自分なりの解釈をぶつけていく、対等のキャッチボールができるようにならないと、理想の形とはいえない。

プロとのそういう丁々発止ができないからと、ただ卑屈になって、「お上手ねぇ」と何も学ばないアマチュアにはなりたくないし、対等のキャッチボールをするために、自分と同じくらいの実力の人たちで集まって、お互いで「お上手ねぇ」と誉めあっているような、仲良しクラブのぬるま湯に浸かっているのもイヤ。自分よりも相当実力が上の演奏家の胸を借りながら、自分なりに得られたものを自分のものにしていければ。

大船渡での演奏会まで、あと3週間となりました。練習回数も少なくなってしまったのだけど、前回の演奏会の練習の時とはまた別の、一つのものを作っていく興奮と楽しみに充ちた練習。なんだか、本番を迎えてしまうのがもったいないような、そんな時間を過ごさせてもらっています。頑張らないと。