何によって圧倒するのか

先日、NHKの「プロフェッショナル」に、大野和士さんがご出演された回。残念ながら再放送も全て見逃してしまったのだけど、S弁護士が録画してくれていて、DVDを郵送してくれました。昨夜、早速女房と二人で見る。放送中、何度となく、女房と二人してぶんぶん頷いてしまう箇所がありました。

全ての責任は自分が負うのだ、と、リスクを恐れず、最後まで可能性を信じて戦い続けるかっこよさ。大野さんのかっこよさは、そういう言葉が上っ面のものではなくって、本当にそれを実践している凄み。パリのシャトレ座公演でオーケストラが演奏を直前ボイコットした際、不眠不休で3台ピアノ伴奏版にスコアを書き直し、公演を強行、逆に観客の大喝采を浴びたエピソードは、まさに大野さんの真骨頂。ホンモノの指揮者というのは、こういう伝説的エピソードを必ず背負っているものですよね。

番組中、大野さんのリーダーシップや、カリスマ性の源泉になっているものは何か、という話が何度も出てきました。リーダーとして全ての責任を背負い、四ヶ国語を自在に操りながら、一人ひとりの歌手の細部にまで踏み込んでいくエネルギッシュなアプローチがクローズアップされていましたが、中でも印象に残ったのは、「全てにおいて人を圧倒しなければ、人はついてこない」という内容のコメント。

このコメントだけを見ると、大野さんがある意味高圧的にメンバーを引っ張っているように聞こえるけど、他の部分では、「自分はゴールだけを演奏者に示して、あとは何もしないで演奏者に任せる、というのが一番理想です」といったコメントもある。メンバーの自主性を重んじながら、メンバーを何で圧倒するのか。そこに大野さんのリーダーシップとカリスマの秘密があるのだけど、それは結局、「楽譜との徹底的な対話」なんですね。

オケのメンバーやソリスト、合唱陣、その舞台に参加している全員の中で、「オレほど楽譜を徹底的に解析している人間はいない」という自信と確信で、「圧倒する」。お得意のレクチャーコンサート風に椿姫の序曲を解析していくプロセスでは、一つ一つの音符、強弱記号の一つ一つにまで、説得力ある理由付けと意義が与えられ、まさに「圧倒」されます。それは確かに大野さんの独自の解釈かもしれないけど、「確かにヴェルディはそういうイメージでこの楽譜を書いている」と思わせる説得力ある解釈。そうやって示された解釈を「これがゴールですよ」と言われば、もう、そこに向かって走っていくしかない、走ろう!と思わざるを得ない、興奮と感動に満ちたイメージの奔流。

それは要するに、その楽譜から大野さんが広げていくイメージの豊かさ、説得力が、人々を「圧倒する」ということなんですね。楽譜をひたすら解析し、読み込むことはできても、そこからどれだけ豊穣なイメージを広げることができるか、が本当の勝負。大野さんのかっこよさ、凄みは、音符の一つ一つ、楽譜の一ページ一ページから、演奏者を圧倒し、さらに感動させるだけの、厚みとパワーを持ったイメージをこれでもかこれでもかとばかりに広げていく力から来る。「もっとこの人の解釈を聞いていたい、もっとこの曲のことを深く知りたい!」と思ってしまう。演奏者がそう思ってしまえば、もうその人は大野さんの術中にはまっている。

さらにすごいのは、そうやって大野さんの術中にはまってしまうことが、決して高圧的な形で実現されるのではなくて、演奏者の中にあるものを「目覚めさせる」形で実現されること。「そうだったのか!」という気づきを与えてくれる形で、実現されること。結果として、大野さんと共演した演奏家は、ものすごく満足感と達成感を感じることができるのじゃないかなぁ。

ソプラノ歌手が最終練習をキャンセルしたオペラの舞台で、大野さんが、「じゃあ彼女のパートは自分が歌う!」と決める、というエピソードが紹介されていました。その決断のプロセスで、大野さんは、「本番に向けて演奏者の緊張の糸を切らず、さらにいい本番のために盛り上げていくためには、自分が歌う姿を見せることで、全員に感動を与えるしかない」といったことをコメントされているシーンがあって、女房と二人してブンブン頷いてしまう。

練習というのは、指導者に与えられた舞台なんです。その場において、演奏者は観客です。指導者は、観客である演奏者たちに「感動」を与える練習をしなければならない。その感動を積み重ねていった先に、演奏者が観客に感動を与える本番舞台が待っている。それは、女房が合唱指揮をするときや、私が演出指導をやるときにも、常に心がけていること。練習会場に集まった人たちが、何かしら心に感動や、新しいイメージを得て、次の練習に臨めるような、そんな練習になるように、練習自体をどう演出していくか。それが指導者に問われている。

これだけのカリスマ性とリーダーシップを持つ大野さんが、決して高圧的な感じにならないのは、大野さんご自身のソフトなお人柄が一番の理由。でもそれ以上に、大野さんご自身が、ものすごく「音楽マニア」であり、音楽のことが好きで好きでしょうがない、一種の「音楽ミーハー」の部分を残してらっしゃることが、最大の理由だと思います。同じ音楽マニアのガレリア座主宰と、マニアックなオペラやオペレッタの話で盛り上がっているときの大野さんは、本当にただの「音楽少年」です。

一音楽愛好家である、という大野さんの姿勢は、音楽に対するどこまでも謙虚な姿勢につながる。「僕はただ、ヴェルディが何を考えていたのか、ということを知りたい。そこに近づいていきたいだけです」とおっしゃるその真摯さが、演奏家たちを惹きつけ、その姿勢の純粋さ、ひたむきさが、演奏家たちを圧倒する。

モネ劇場の凱旋公演で来日されたとき、大野さんに抱っこしてもらった娘の写真は我が家の家宝です。どこまでも気さくで、どこまでも紳士。カリスマであり、エネルギッシュでありながら、なぜか不思議と、お話を聞いているだけで安心感がある。これからのご活躍を、どこまでも見守っていきたい、そういう気持ちにさせる、本当に素晴らしい指揮者です。