上手な合唱団の練習見学

なんか「上手」というタイトルが連続しちゃってますね。今日は、先日ちょっとお邪魔した、大久保混声合唱団の練習見学のことを書きます。

今度、7月23日(日)に新宿文化センターで上演される、大久保混声合唱団の第32回定期演奏会。この演奏会のステマネを仰せつかりました。その事前打ち合わせ、ということで、先週、大久保混声合唱団の練習に久しぶりにお邪魔する。

定期演奏会の曲ではなかったのですが、この秋に石橋メモリアルで上演される、「その心の響き」演奏会(このステマネも仰せつかっているんだよね)の練習をされていました。指揮されるのは、辻正行先生のご三男、辻裕久先生。ピアノは志朗先生。練習されていたのは、高田三郎先生の「ひたすらな道」。

高野喜久雄高田三郎の黄金コンビによるこの曲。現世への絶望を抱えながら生きていかねばならない人間の宿命を歌った「姫」。その現世から、自分の身体の一部をもぎ取ってでも高みへと駆け上っていこうとする意志の力と、失ってしまったものへの愛惜を歌う「白鳥」。そして、現世へのこだわり、我欲やエゴをすて、ただひたすらに理想を表現する媒体でありたいという崇高な希望を歌う「弦」…3つの詩の含蓄に充ちた日本語を、無理なく自然に、なおかつ端正に歌い上げる、実に高田作品らしい一品、という感想。

練習を聴いていて、素晴らしいなぁ、と思ったところはいくつもあったのですが、何より、裕久先生の「自然な日本語の言い回し」にこだわったご指導が印象的でした。高野喜久雄の詩は実に重厚なドラマに満ちているので、ついついドラマティックに、力んだ絶叫調の畳み掛けるような歌になりそうなんですが、裕久先生はあくまでレガートにこだわる。「普通に喋る時に、そんな風に一つ一つの音を力んで畳み掛けるように喋らないでしょう?普通に、自然にしゃべるようにフレーズを作ってください」。そうやって作られたフレーズは、変な力みや表現者自身の思い入れを排した、極めて淡々とした表現。でも逆に、そうやって自然に作られた表現が、日本語の美しさ、旋律の美しさを際立たせ、かえってドラマティックな世界を表現していく。とてもスタイリッシュ。

もう一つ、素敵だなぁ、と思ったのは、裕久先生が「こうしてみて」とおっしゃる通りに、合唱団が見事に声やフレーズを変えてくる所。普通の合唱団だと、指揮者の先生が、押しても引いても、どんな指導をしても、なかなか声や歌いまわしが変わらず、苦労されているのをよく見ます。でも、大久保混声合唱団は、裕久先生が、「そこの響きをこんな感じで」と、とても具体的でテクニック的な話をされた時でも、「そこの響きをもっと遠くに広がる感じ」と、かなり抽象的な言い方をされた時でも、見事にその要求通りに声の色を変えてくる。やっぱりすごい合唱団だなぁ、と思いながら聴いていました。

7月23日の定期演奏会では、ブラームス、鈴木輝昭、唱歌、そして、志朗先生お得意の山本純之介作品と、バラエティに富んだステージが予定されています。裏方としては、各ステージのセッティングが色々と変わってくるので、スムーズな運営力が試される演奏会になりそう。演出家の先生(うちの女房です)からも色々とご注文があるようなので、なんとか、この素晴らしい合唱団が、いつもの実力をきっちり出せる演奏会になるよう、頑張りたいと思います。