MET特別公演

私の勤めている会社が、メトロポリタンオペラ(MET)のスポンサーになっている、ということで、先日、御茶ノ水のカザルスホールで、マネージャークラスの社員向けの特別公演があり、幸運にも拝聴する機会を得ることができました。第一部は、筑紫哲也さんと、METの支配人、ジョゼフ・ヴォルピーさんの対談。第二部が、METの座付き歌手によるガラコンサート、という構成。

ヴォルピーさんがMETに残した功績については、色んな本や文章が出ていますよね。9割を超えるチケット販売率、オペラファンの裾野を広げるための色々な試み。高いパフォーマンスを維持する求心力。第一部の対談でも、いくつも面白いエピソードを聞くことができました。

ヴォルピーさん「会場の方々に質問です。この中で、オペラに一度も行ったことのない方、手を挙げてください。」
(会場の8割近い人が手を挙げる)
筑紫さん「こういう方々にオペラに足を運んでもらうには、どうしたらいいと思いますか?」
ヴォルピーさん「私は逆にこう聞きます。『どうして今更、この方々にオペラに来てもらわないといけませんか?』マネージャクラスの年齢の方に、無理やり、オペラに来てくださいといっても無理です。もっと若い頃から、オペラに親しんでもらわなければ」
筑紫さん「私もそう思って、娘2人を、一度バイロイトに連れて行ったことがあるんです。すると、娘は二人とも、『これは拷問である』と言いました。私は彼らに、『今は拷問かもしれないが、これは種なんだ。将来きっと、君達の中で芽を出すから』と言ったんです。」
ヴォルピーさん「その時、娘さんはおいくつでしたか?」
筑紫さん「16歳と18歳でしたか。」
ヴォルピーさん「遅すぎます。そのくらいの年齢の方に、ワーグナーを聞かせれば、それは確かに拷問以外の何物でもないでしょう。」

このやり取りの後、ヴォルピーさんは、METがやっている子ども向けのプログラムについて、説明をしてくれました。METでは、まず小学校に上がるか上がらないか、位の幼い子ども達を、オペラハウスのバックステージツアーに招待するのだそうです。バックステージには、衣装や、剣や、舞台道具を作っている工房や、様々な機械といった、子供が楽しめる場所が一杯ある。子供にとっては、「ディズニーランドよりも楽しい場所」に見えるのだそうです。「オペラハウスはすごく楽しいところだ」とまず思ってもらってから、オペラの1幕だけを見てもらう。決して、ワーグナーの全曲公演を椅子に座って見なさい、なんてことはしない。すると、子ども達には、「オペラは面白い、楽しい」という記憶が残る。その記憶を持った子ども達が、大きくなり、自分でチケットを買えるようになったら、「あの面白かったオペラハウスに、オペラを見に行ってみたいなぁ」と思い出してくれて、劇場に戻ってきてくれる。そこで、大人にしか分からないオペラの魅力に、さらに気付いてくれればいい。そういう、20年・30年先の観客を育てる試みを、ずっと続けているのだそうです。

他にも、ドミンゴのエージェントから、「もっとマイナーなオペラを発掘上演しないか?だったらドミンゴは喜んで出演すると思うよ」と言われて、直接ドミンゴに話をしたら、「そんな企画に興味はない」と言われた話(ことほどさように、現場に直接言ってみないと本当のことは分からない)とか、市民の寄付でなりたっている組織だからこそ、市民へ芸術を還元する義務があるのだ(セントラル・パークでの無料コンサートや、9.11の時のチャリティー活動などについて)、という話、一つ一つのお話が実に面白かったです。

「自分の劇場支配人としての最後のイベントとして、日本に来られたのは本当に嬉しいんです。普段の公演だと、出演者を含めたスタッフは、家から出勤してきて、公演が終われば帰ってしまう。お互いに言いたいことを言い合う時間はなかなか取れない。でも、引越し公演だと、全てのスタッフが同じホテルに何日も泊まって、一日中顔を突き合わせている。こういうすごく密接なコミュニケーションを取れる機会というのが、本当に嬉しいんです。公演の最終日、300人以上のMETのスタッフ全員と同じチャーター便で帰るんだけど、その時に、『僕の在任期間中に、言いたくても言えなかったことを全部、キミ達にぶちまけるからね』と、今からみんなに言ってるんですよ。」

後半のガラ・コンサートは、METの舞台で活躍されている若手歌手たちを中心としたパフォーマンス。どのパフォーマンスも実に聴き応えがありました。今回、大船渡でのコンサートで歌う予定にしている、ドン・ジョヴァンニの「お手をどうぞ」の二重唱も演奏されて、リチャード・バーンスタインさんのドン・ジョヴァンニの分かりやすいアメリカ的なパフォーマンスとか、すごく参考になった。「こうもり」のオルロフスキーのクプレを歌ったローラ・V・ノーレンさんは、歌詞を英語で歌っていて、これもナカナカ面白かったです。

私がオペラ歌手に詳しくない、あまり名前を知らない歌い手さんの中で、唯一私が名前を知っていたのが、ジョン・ヌッツォさん。紅白出場歌手だもの、そりゃ知ってるよね。だから、というわけじゃないけど、貫禄というか、やっぱり一番の存在感だった気がする。「人知れぬ涙」と「冷たい手」を歌われたのですが、どこか少年の初々しさすら感じさせる繊細な声の色と、豊かな声量を兼ね備えた、実に魅力的なテノールトゥーランドットの「この御殿の中で」を歌われた、エリカ・スンネガルドさんもよかった。トゥーランドット姫というヒロインが持つ初々しさ、残酷さ、それゆえの苦悩も表現した、奥行きのある歌でした。

欧米には立派な歌い手が本当に腐るほどいるんでしょうし、日本で名前を知られている歌手なんか、その中のほんの一握りなんでしょうけど、それにしても、METというソフト供給集団の持っている層の厚さと、それを支えている長期的な視野に立った経営哲学に触れることができた貴重な体験でした。出演者の皆様、本当にお疲れ様でした。この企画を提案してくれたヴォルピーさんと、それに応じた我が社のスタッフの度量の広さに感謝。ウチの会社も、実に粋なことをやるもんだ。