「ミクロパーク」〜リアルと非リアル〜

J.P.ホーガンというSF作家には、「巨人たちの星」シリーズで出会いました。めくるめく超科学と謎解きのカタルシス。そのホーガンが、ナノ・テクノロジーの世界を描いている、というので、図書館で思わず借り出してきたのが、「ミクロパーク」。「巨人たちの星」とはかなり趣の違った、近未来テクノフィクションの世界を楽しむ。

自分が昆虫と同じくらいの大きさになったら…というお話は、数々のSFや、「不思議の国のアリス」などのおとぎ話でもしょっちゅう出てくる話ですけど、この本はそれをもっとリアルな近未来技術の集積として描いています。昆虫と同じくらいの大きさの、マイクロマシンたち。このマイクロマシンをあやつるのは、人間の神経からくる信号をそのままマイクロマシンに同化させる「神経インターフェース」の技術です。そうやってマイクロマシンに同化した人間は、極小の世界で昆虫を狩ったり、あるいは悪者のポケットに忍び込んで盗み聞きをしたり、妨害工作を行ったり…と大活躍。

悪役の造型とか、大人が手が出ない難局を子供の知恵と勇気が解決していく筋立て、後半のアクション・シーンなど、ハリウッド映画的エンターテイメントのワンパターンはきっちり踏襲されています。あまりに典型的な筋立てには、少し割り切れなさも残るし、前半の企業小説的なシークエンスは、ちょっと退屈だったりするけど、昆虫のようなマイクロマシンたちが、悪役どもをひっかきまわして大活躍する後半部分は、実に爽快で楽しめました。なんか、「未来少年コナン」のギガント上の戦いみたいな感じ。

でも、昆虫が苦手な人はちょっときつい本かも…という気がしました。ちなみに、私もそんなに強くない。先日、我が家の出来立ての裏庭で、家族そろってアウトドア・ランチとしゃれこんだのだけど、初夏の陽気に誘われたアリンコたちが大発生していて、庭中をうろつきまわっており、我々が座っていたシートの上にも何匹もノコノコ上がってくる。典型的な都会っ子の娘は、そのたびに半泣き。

この本で描かれているのは、「ナノテクノロジー」の少し大きめのサイズの、「マイクロテクノロジー」と、究極の「神経インターフェース」で、どちらの技術も、既にある程度実用化されていますよね。以前、ちらりとTVを見ていて、脳に直接埋め込んだ電極で、義手を遠隔操作する、という技術が紹介されていましたっけ。こういう技術を本当に必要としている難病の人たちは沢山いると思うので、本当に実現が急がれる夢の技術だとは思うのだけど、その一方で、こういう技術って、軍事技術と結びついて発展するんだろうなぁ、とも思う。ある意味すごく大事な技術だとは思うのだけど、そこに、どんどん「非リアル」化する未来の現実世界を垣間見てしまって、少し薄ら寒い気分にならないでもない。

数週間前に、TVニュースで、「生きた細胞の活動を電子顕微鏡レベルで観察することに初めて成功した」なんていうニュースをやっていました。自分の手や、自分の目で触れたり、見たりするのではないインターフェースがどんどん拡張していても、どこかで、「直接触れて、直接見ること」に勝るものはない気がする。マイクロマシンに同化して、主人公達が冒険するのは、巨大な昆虫たちや微生物が蠢く世界。でも、それはあくまで、マイクロマシンという別の目を借りることによって捉えられた「非リアル」の世界。ましてや、神経インターフェースでつながれた戦闘マシンによる戦いが戦争の主流となったとしたら、その戦争というのは一体、「人を殺す」という「リアル」さを保つことができるんでしょうかね。アリンコが怖いと泣く子供は、アリンコというリアルな存在に怯えるのであって、TVに出てくるアリンコには怯えない。怯えないから、ゲームの中のアリンコなら平気で踏み潰せる。暗視カメラの映像の中で、血しぶきをあげて死んでいく中東の兵士達のように。そういう「非リアル」が「リアル」を侵食する嫌な感覚を感じることが、最近妙に多い気がする。